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2016年4月11日月曜日
余命、国旗・国歌関連記事抜粋、2016年4月
抜粋記事一覧
余命ブログ、2016年4月24日記事「653 2016年4月24日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月22日記事「637 巷間アラカルト㉛」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月21日記事「630 巷間アラカルト㉚」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月19日記事「624 巷間アラカルト㉘」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月11日記事「593 巷間アラカルト㉕」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月11日記事「592 2016年4月10日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月10日記事「587 巷間アラカルト㉓」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月9日記事「584 巷間アラカルト㉒」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月9日記事「582 2016年4月8日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月9日記事「581 巷間アラカルト㉑」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月7日記事「579 巷間アラカルト⑳」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月7日記事「578 国防事案④」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月6日記事「576 2016年4月7日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月6日記事「575 2016年4月6日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月5日記事「571 2016年4月5日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月5日記事「570 巷間アラカルト⑱」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月5日記事「569 巷間アラカルト⑰」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月4日記事「568 2016年4月4日時事」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月4日記事「564 国防事案②」より抜粋して引用
余命ブログ、2016年4月3日記事「559 2016年4月2日時事」より抜粋して引用
以下、抜粋記事
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余命ブログ、2016年4月24日記事「653 2016年4月24日時事」より抜粋して引用
ものいわぬ多数派
余命爺様、余命スタッフ様 こんばんは
本稿のtoday様の意見「平時においては、自衛隊員の方々は日本人のため日陰者として支えてくれ、日向(災害など非常事態時)には全力で助けてくれます。なので、平時においては、日本人がサヨク、マスゴミからの誹謗、中傷から、自衛隊を守らなければならないと思います。これは自衛隊だけでなく、文化財、皇室にも言えることだと思います。」に感銘しました。まさにその通りだと思います。
昨年、観艦式と入間航空祭に、中学生の娘と小学生の息子を連れて行きました。二人とも自衛隊の迫力・格好良さや自衛隊員の優しさに触れ、親近感を持ったようです。
また、今年の建国記念の日から国民の祝日には、我が家の玄関先に日章旗がはためくようになりました。もちろん掲げるのは子供たちです。初めて日章旗を掲げた日に、近所のおばさんが、じーっとその光景を見ていて一言、清々しいわね!
日常を通して、あせらず、無理せず、自然な形で国を愛する心を育んでいきたいと思っています。
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余命ブログ、2016年4月22日記事「637 巷間アラカルト㉛」より抜粋して引用
優游涵泳
> .....しかしまあ、何ですな。君が代でこんなに投稿があるとは思っていなかった。
ここまで、君が代ネタで引張っておきながら何ですが、小生自身も思いませんでした。
おそらく、反日勢力がここまで我が国の国歌や国旗を陥れ無ければ、「昔々の詩だから、意味わかんねぇや」で、小生自身素通りしていたかも知れません。しかし、反日勢力は毎日毎日懲りもせず、執拗にそれはまぁ執拗に貶しまくってくれるもんで、むかっ腹立って自分で調べるに至った訳です。
そしたら、意外と面白い。そこに来て、余命ブログで話題が上がった訳ですから、燻っていた焼け木杭に酸素スプレーを吹きかける様なもので、そりゃ燃え上がります。更に博識ある方々がドンドン補強する訳ですから、投稿数が増えるのも仕方が無い事かと。
ここに来ての結果論ですが、反日勢力は手段を誤りましたね。大和民族が事大する民族ならば、明や清が李氏朝鮮を支配した様に、ことごとく誇りを奪うやり方で正解であったろうと推察します。しかし、我々は大和民族ですので事大しません。
これは初代カズ先生の頃からの記事を読めば、容易に理解や推測出来た事でしょうが、反日勢力の連中には感覚的にそれが理解出来なかったのでしょう。「虎の縞は、洗っても落ちない」って事なのでしょう。
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余命ブログ、2016年4月21日記事「630 巷間アラカルト㉚」より抜粋して引用
RENREN
「君が代」の「君」は初めに詠んだ方、国歌にした方、歌った方……それぞれの立場で君が誰を指すのか、表現を変えることができるとずっと思っていました。和歌では「君」という表現はたくさん使われますし、美しいものをただ美しいというのではなく、短歌など短い文章で心豊かに伝えることができるのは日本独自です。
君が代の「君」は天皇陛下を指すんだ!という主張は、国歌にした方がそう思って定めた以上、定義上そうかもしれませんが、初めに詠った方もそうかと言われれば、誰を指しているのかは結局分からず。後世の人間が勝手に想像して、あれこれと解釈しているだけ。そうであれば歌う側がどう解釈しようと自由だと思うんです。
初めに詠った人の気持ちを考えず、「君が代は戦争賛美」と決めつけて主張している人たちは、君=天皇陛下と解釈して戦争と関連付け、叩く材料にしているだけです。風情も情緒もなく下品だなぁと、短歌・俳句など日本独自の文化に、普段接していない人たちなのだなといつも思ってしまいます。
日本人が特に親しんでいる百人一首が、漫画やアニメ、実写などで広く伝わっていて、日本人が日本文化を知る機会になっているのが嬉しいです。
・ちはやふる 競技かるたを題材にした少女マンガ。アニメ、実写映画化。
・超訳百人一首 うた恋い。 百人一首の特に恋を題材にした短歌を現代訳で表現したコメディタッチの短編漫画。アニメ化。
GATEは我が家でも面白いと話題になり、まだ原作もアニメも見ていないのですが、機会あれば拝見したいと思います。
RENREN
悠久百姓
私も、君が代=天皇陛下のしろしめす日本、天下泰平なる世界のことだと思っています。解釈は色々おありでしょうが、国歌としては日本のことではないかと。卒業式で歌われたからといって、君が代が別れの歌ではないでしょうし。
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余命ブログ、2016年4月19日記事「624 巷間アラカルト㉘」より抜粋して引用
ふゆつき
余命プロジェクト一同様、お疲れ様で御座います。
最近国歌君が代の話があがっていたので、一言申し上げます。
作曲家のすぎやまこういち氏が『君が代の歌詞だけでなく、曲自体も素晴らしい名曲である。』旨の発言をされております。作曲家ならではの視点で目から鱗状態でした。Youtubeで検索すれば出て来るとおもいます。よろしければ、一度視聴して下さいませ。
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余命ブログ、2016年4月11日記事「593 巷間アラカルト㉕」より抜粋して引用
まひる
余命様、こんばんは。
君が代について、「君」にばかり注目が集まりがちですが、「代」も中々に考えられていると個人的に感じています。
皆様ご存知かと思いますが、和歌のテクニックに掛詞というのがあります。「代」が掛詞であると見ると代=世と見ることもできます。こう解釈した場合、「君が代」の五音で歴史の縦糸と横糸、時間と空間を歌に含ませたことになり、とても国歌らしいスケールの大きさですね。
ちなみに宇宙とは宇=時間、宙=空間を合わせた言葉なので、人と時代によっては更に大スケールな解釈も可能ですね。
また、もしかしたら代=夜になる人もいるかもしれません。この場合はよりラブソングの色合いが強くなりますね。
「よ」は掛詞として大変応用がきく言葉ですので、他にも沢山の意味が込められているかも知れません。君が代を歌うその人がその時その場所でどんな思いを込めて歌うのか、その裁量がとても広いのが君が代の面白さであり、国歌としては特異な所かも知れませんね。
(まひる)
ざる
鬼子(おにこ)さんが引用された「日月神示」は昭和19年、敗戦間際に作られた物語です。また「朝鮮の神話」も原書(三国遺事)とは違います。引用元が明示してあるので、引用元を信用しているのでしょうが、拡散する場合は慎重であって欲しいです。小うるさいことをすいません。
(中略)
三蔵法師
余命一同様。神ブログ運営ありがとうございます。
熱しやすく冷めやすい国民性と言われますが、今は長期目標がハッキリし結果も少しずつ現れてきましたから、祖国を取り戻す戦いは盛り上がっていくことでしょう。祖国に誇りを持つ方々が増えつつあるようですが、バロメーターの一つに、祝日に国旗を掲揚する家庭が増えるかではないでしょうか?
当地域では、掲揚は1~2%が現実です。バブル前は、もっと多くの家庭が掲げていましたので寂しい限りです。あの個人主義のアメリカでさえ独立記念日には盛大に掲揚されています。
地味ではありますが、国旗を大切にしたいものです。
(三蔵法師)
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余命ブログ、2016年4月11日記事「592 2016年4月10日時事」より抜粋して引用
三蔵法師
余命一同様。神ブログ運営ありがとうございます。
熱しやすく冷めやすい国民性と言われますが、今は長期目標がハッキリし結果も少しずつ現れてきましたから、祖国を取り戻す戦いは盛り上がっていくことでしょう。祖国に誇りを持つ方々が増えつつあるようですが、バロメーターの一つに、祝日に国旗を掲揚する家庭が増えるかではないでしょうか?
当地域では、掲揚は1~2%が現実です。バブル前は、もっと多くの家庭が掲げていましたので寂しい限りです。あの個人主義のアメリカでさえ独立記念日には盛大に掲揚されています。
地味ではありますが、国旗を大切にしたいものです。
(三蔵法師)
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余命ブログ、2016年4月10日記事「587 巷間アラカルト㉓」より抜粋して引用
鬼子(おにこ)
きみがよの話ですが、「き」と「み」はイザナギの「キ」(男)、イザナミの「み」(女)のことを指している説もあります。なのでラブソングには違いはありませんが、大和言葉の「きみ」という言葉はもっと深い意味があると言うことです。
少し話が脱線しますが、イザナギとイザナミは古事記の中で、イザナギは見るなと言われたイザナミの姿を見たことで追っかけられて、黄泉のひらさかまで逃げた末に岩戸を閉め、そこにイザナミが追いついたときに『愛するあが夫、あなたがこのように致すのならば、あなたの国の民草、一日(ひとひ)に千人食い殺さん』と言われ、ナギ曰く『愛する我が妹、しからば我、一日に千と五百の産屋を建てなん』と言って別れ離れになってしまいましたが、この話には続きがあります。
実はイザナミの神が追いついたときに、岩戸越しにナギにこう語りかけました。『愛するあが兄、もしも時めぐりたならば、この岩戸を共にあけましょう』、ナギ曰く『しかよけむ(ああ、そうしよう)』と言い、そして別れました。つまり「再婚」を約束して別れたのです。
たとえ別れることになっても、自分の一番見られたくない姿を見られても、『愛するあが夫、妻』と互いに思いやり語りかけ、最後まで愛を貫く。その二柱の神が日本と日本人を生み出した。ここに日本人の感性の源があると思います。
また脱線しますが、日本の神社の結婚式は、イザナギとイザナミの前で夫婦の契りを交わします。西洋式のウエディングに数百万かけるより、十万たらずの金でもって、ナギとナミの神の前で契りを結ぶ方が日本人として理に適ってますし、実際に式の満足度も高いそうです。目を覚ましましょう。
さて、これに対し、強姦殺人から始まる神話を持つ国があります。熊と虎の夫婦をケダモノの獣神が夫熊を殺して虎の妻を犯すという神話です。それが、韓国(南北朝鮮)だそうです。だから朝鮮人の強姦殺人は民族性そのものであり、そんな極悪非道の民族が大和民族のように世界最高民度の称号の国にいていいわけありません。有事を持って、完全駆逐するべきです。
イザナギだってナミが死んでしまった原因であるカグツチの首を一太刀で刎ねてます。その剣から滴り落ちる血から最強の武神タケミカヅチの神が生まれてます。悪事を赦さず、正義を不動の精神で実行する、それが本来の大和の国の民であるべきです。長々失礼しました。
追記*先の神話話の情報元は、日本の神話が(完訳)日月神示と、朝鮮の神話はねずの独り言ブログからです。こっちのほうはうる覚えなので、多少の違いがあるかもしれません。
(鬼子)
優游涵泳
花のごとし様
補足説明、誠に有難う御座います。
御指摘の通り「代」とする事で、現世だけでは無く前世、来世を包括した意味となりますね。現代風に表現するなら「時空を超えて」と言った所でしょうか。尤も、「千代に八千代に」と詠んで居ますので、極めて未来志向でその「代」を用いたのであろうと推察します。
祝詞にも「子孫の八十続五十橿八桑枝の如く立栄えしめ給へ。(うみのこのやそつづき、いかしやくはえのごとく、たちさかえしめたまへ)」と言った一節が一部形を変えつつも散見されます所から、先人達が如何に生命を大切に考えていたか、そして未来に対してポジティブな精神で向かい合って来たかが伺え知れますね。
二番目の山羊(曾祖母がアイヌ)様
花のごとし様も触れておいでですが「君が代」は原型が「我が君は」で始まる詠み人知らずの和歌です。
和歌である限り掛詞などのテクニックは当然の如く用いられますし、掛け字と表現すれば良いのでしょうか、充てる字を変えられる遊びを入れる事で、その意味合いやニュアンスに幅を持たせる技法も多用されます。「我が君は」も「吾が君は」とする事で、読みは「わがきみは」でも多少なりともニュアンスを変える事が出来ますね。
先の投降で「ラブソング」と表現しましたので、恋愛的な印象を強く持たれたかと思います。勿論、未来志向の和歌である限り子孫繁栄は大前提ですので、恋愛は外せないでしょう。それと伴に新たな世代、つまり子や孫、更に言えばアンデットでも無い限り絶対に出逢う事の無い子孫に対する愛情も、込められている様に思えるのです。
またそれと伴に、直接対象を限定して用いるのでは無く「君」とする事でその対象が先祖であってもおかしく無いですし、人生に於けるメンターでも良く、勤め先の上司であっても全然おかしく無い訳ですね。
作詞の技法をもってしても、実に匠に作られた詩だと思います。
菊之助様
漢字の歴史も面白いものですね。
支那の文化は時の権力者によって、何でも都合良く歪曲したり作り変えたりするのが当り前ですので、当然漢字でもあり得ますね。実は支那では漢字1文字でその意味を表すのが元々の用法だったのですが、実に碌でも無い意味の漢字が少なくありませんね。
これが日本に於いては浄化されて、その意味やニュアンスが変わってしまったものが少なくありません。こう言った背景を知れば「君が代」と言うフレーズが、日本人と支那人とで異なって解釈されるのも納得がいきます。
しかし、何ですね。このモンスターブログとも言える余命ブログで「君が代」の本来の意味が暴露されてしまうと、必然的に若い世代、特に思春期から青年期に至る年代の人にまで広まってしまう訳で、今まで詭弁を弄して「君が代」を否定していた勢力の信用はガタ落ちでしょうね。きっと、日教組などからすれば、嫌がらせ以外の何物でもないと感じる事でしょう。
「君が代」を否定して来た勢力がガタ落ちになった信用を取り戻す為には、米米CLUBの「君がいるだけで」も「軍国主義を象徴している。けしからん!」、Mr.Childrenの「君が好き」にも「天皇が好きと言う事はネトウヨ」とか、尽く君という言葉を狩って火病らなければならない訳です。ここまで来ると、是非頑張ってトライして頂きたいものです。
.....しかしまあ、何ですな。君が代でこんなに投稿があるとは思っていなかった。現状すでに2稿分はあるだろう。話題となる場がなかったこともあるだろうが、基本的にここの読者には国旗、国歌に対する思い入れがあるのだろう。
YMT
菊之助様
YMTです。
581の菊之助様のカキコ「中国大陸は侵略され、漢字は西洋風の文法に置き換えられてしまったため、その後の日本ではレ点を用いなくては読めなくなったそうです。」とのこと、成程そう考えればいろいろ合点が行きますね。
実は、高校時代、英語の教師から「英会話は、日本人よりシナ人のほうが上手い。なぜなら、英文法と漢文とは同じなので日本人みたいに文法を気にせずに済むからだ。」と言われたことがあるからです。
当時は、「なんで同じ漢字文化なのに文法だけが違うんや」とか、「日本だけが特殊なのか、日本だけが孤立してるのか。」とか、なんとなく釈然としなかったのですが、古代からシナは西側から侵略されっぱなしであったと解すれば納得が行きます。
そう考えるとシナ民族のヘタレっぷりと、平気で嘘をつく国民性も納得です^^
貴重な情報、ありがとうございます。
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余命ブログ、2016年4月9日記事「584 巷間アラカルト㉒」より抜粋して引用
sasa
国旗国歌に関する思い出ですが・・・
私は沖縄出身で、私が小学校に入った翌年に沖縄復帰しました(1972年)。当時の復帰運動の主力は、当時も極左の沖教組で、反米のために国旗を復帰運動のシンボルとしていました。ただ、復帰後はまた日帝のシンボルとして国旗をタブーにしました。
国歌に関しては、小中高を通してタブーだったと思います。ただ、小学6年生の時に、音楽の先生が、本当は嫌なんだけど、上からの命令だからと言って、1時間だけ、本当に嫌そうに君が代を教えてくれました。その先生は女性の若い先生で、生徒の人気も高かったのですが、沖教組に洗脳されていたのですね。
こう書くと沖縄の教師はみんな極左かと思われても困るので、私の両親の話をします。私の父は高校の英語の教師で、どちらかというとノンポリ(というか親米)でしたが、復帰前後数年は祝日に国旗を掲げていました。私の母は小学校教師で、こちらもずっとノンポリでした。
両親とも沖縄戦経験者(当時10代)ですが、日本兵に悪感情はなく、特に父は、戦争中にお世話になったと言って、北海道出身の兵士2名と、戦後もずっと交際を続けていました。私も学生時代、サッポロビール園で父とともにお二人と会ったことを覚えています。
沖縄は、地元新聞やテレビなどの主要メディアがクソ極左なのですが、沖縄の人間は現実主義で、良く物事を見ている人もたくさんいます。(情弱が大量なのが、あれですが・・・・(><)
あと、沖縄のマスコミの最後の良心として、八重山日報を紹介しておきます。尖閣など、日々中国に脅かされている最先端の国境で、現実をよくとらえている新聞だと思います。
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余命ブログ、2016年4月9日記事「582 2016年4月8日時事」より抜粋して引用
かたかごの乙女
余命様、スタッフの皆様お疲れ様です。
書籍の売り上げ好調の由、とても嬉しく、また此方に集う皆様が地元での書店の様子などをお知らせ下さるのも、ありがたく嬉しい事でございます。一人の力は小さくとも、大勢が同じ目的を持って、行動すればどんな事でも叶う…そんな気が致します。大河の流れも一滴から。
今年に入って、初めて日章旗を買い求め、祝日には掲げるつもりが、町内を見渡せば、創価の信者とおぼしき家や、共産党の支持者の家にはポスターが貼ってはあれど…と言う訳で座敷に飾っています。
ヨーロッパを旅すれば、自国の国旗を当たり前に掲揚しているのを見るにつけ、世界で一番美しい日の丸が、どうしてこうも街中に掲げられていないのか…罵詈雑言様やもぐら様、夜霧のガイコツ今晩は様のように、私も勇気を持って掲げたいです。(自分の国で国旗を掲げるのに勇気が要るって…)
私は、自衛隊の皆様の尊い血が例え一滴でも流れるのは嫌です。ですので、日本中で、各家庭日章旗を軒先に掲げて、玄関先に箒を逆さにしておけば、在日の皆様が、自国にお帰り下さる。そうなればどんなにか嬉しい事でしょう!などと、今日一日、皆様のコメントを読みながら、夢みたいな事を考えてしまいました。
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余命ブログ、2016年4月9日記事「581 巷間アラカルト㉑」より抜粋して引用
花のごとし
>優游涵泳さんへ
君が代の「君」が、天皇を表していない事は、「代」でわかります。もし、「君」が天皇を表すなら、「君が世」になります。これは外国人では理解できない事でしょう。
「代」=だい 「世」=せかい
代(だい)を「よ」と呼ばせてること自体、外国人には理解不明だと思いますよ。
古今和歌集では、祝い唄で掲載されていて、元の歌詞は「我が君は」です。我(男)が君(女)は、一生(一代)に一緒で子孫繁栄を誓う = 結婚式ですね。大和言葉では、男を「お(き)な」 女を「お(み)な」 組み替えると、「きみが代」 現代で言えば、結婚式の誓いの言葉や、プロポーズの言葉かな? 「一生大切にします!沢山子供を作って幸せになりましょう!」って感じのラブソングですよ。
(中略)
二番目の山羊(曾祖母がアイヌ)
優游涵泳様
>国家がラブソングの国って、すこしテレますね。
>(中略)他国の国歌は実に勇ましく
>「敵をぶっ殺せ!」的なものが多い中、
>我が国の国歌はラブソングなのですよ。
「君が代はラブソング」って凄く良いですね!余命様、お忙しい中、恐縮ですが、嬉しくなったので書き込ませて下さい!
祝い歌との認識は有りましたが、ラブソングなる表現は新しく、時代に即応した感性と考えます。キャッチコピーとしても、若年世代の興味をそそると思います。恥ずかしがってないで、日本国一億人が世界の中心で愛を叫びましょう!マクロス7の熱気バサラが如く、「俺の歌を聴け!!」
≪二番目の山羊(曾祖母がアイヌ)≫
菊之助
花のごとし への返信
横レスで申し訳御座いませんが…君が代がプロポーズの言葉とは!日本国家のなんとロマンチックなことでしょう。
君は確かに中国大陸経由の読み方では“クン”ですが、それは後から中国大陸に侵略してきた民族が作り上直してしまった漢字の方だそうです。元は呉読みで(きみ)でした。
侵略から逃れてきた百越が元からあった日本語と混ざって出来たのが大和言葉だそうです。だから、日本語は現代中国語よりも古代中国語(呉語)に近いのだと、他の方の書き込みで読んだことがあります。
中国大陸は侵略され、漢字は西洋風の文法に置き換えられてしまったため、その後の日本ではレ点等を用いなくては読めなくなってしまったそうです。そうなると君が代は漢字本来の読みでうたわれたプロポーズのうただと言うことになります。他の方の書き込みからの知識で申し訳御座いませんが、それが本当だとしたら素晴らしいですね!
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余命ブログ、2016年4月7日記事「579 巷間アラカルト⑳」より抜粋して引用
nory
連投すみません。
国歌、国旗にかかわることで、気になっていることがあります。スポーツの国際試合などで国旗が掲揚され、国歌が流れるのですが、最近胸に手を当てて国旗を注目するスタイルをよく目にします。
日本式は「直立不動」だったはずが、異国風?になっていますね。私が間違ってるのかな?小学校の時、「直立不動」の姿勢で国旗掲揚・降納を教わりましたので間違ってないはずです。選手たちはカッコイイと思ってるのでしょうか?それとも誰かに指示されている?
とにかく「君が代」と「日の丸」は「直立不動」が似合うと思います。影響力のあるスポーツ選手たちにそのあたりを意識してほしいものです。「心がこもっていればなんでもよい」という方がいますが、日本式のお辞儀が朝鮮式(コンス)に侵食されていますよね。心がこもっていてもコンスは気持ち悪いのでやめてほしいです。日本人なら誇りをもって日本式を継承しましょうよ!!
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学校における君が代授業について
コメントにて、学生時代に一度も国家の授業がなかったと聞いて大変驚きました。私の出身地域では、小学中学高校の音楽の最初の授業で、必ず君が代について深く掘り下げて勉強したものです。
私の年代は団塊ジュニアの少しあとの世代です。高校の受験戦争が少し緩んだ頃ですね。高校は私学だったので、他の公立がどうなのかは存じませんが、私学のほうが日教組の影響を受けにくいのか、バリバリの保守高校だったんだなぁと、大人になってから思いました。
君が代については、昔は天皇陛下の御世を称える歌であり、現代訳では日本国の繁栄を称えるという意味もあると、習いました。まとめると、天皇陛下を中心に繁栄し続ける日本を称える歌、といったところでしょうか。うまいこと日教組の目を潜り抜けるように、授業してくれたのかなと思います。
魔法科高校の劣等生についてのコメントもあって、ファンの方がいらしてうれしく思います。中国韓国を絶対悪として描かれたアニメは、この作品が始めてでした。本当に胸糞悪い敵として書かれていて、それが日本人の主人公の少年によって、ぎったんぎったんにry・・・。その展開があるだけで、他のちょっとどうよという設定とかには目をつぶれますw
ニコニコ動画という、視聴者がコメントを打てる動画にて、特定アジアの荒らしが蔓延してるのもこの作品の特徴ですw どうやら映画化もされるようで、これからも期待大の作品だと思います!
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余命ブログ、2016年4月7日記事「578 国防事案④」より抜粋して引用
コトリ
余命爺様と皆さま、こんにちは。欧州在住のコトリです。
朝日新聞の「第二の国歌」の記事に怒り心頭していた矢先、偶然食卓で国歌の話になりました。日本の学年で4年生になったばかりの子供が、『たしか、英国の国歌は、英国は絶対に奴隷にはならな~い!っていう歌詞で終わるんだよ』と言ったので、欧州出身の主人とともに、各国の国歌の歌詞をネットで調べました。
驚くことに、どこの国の国歌も「戦争」や「武器」、「血」や「砲撃」などの歌詞ばかり!ロシアは唯一、情緒的な歌詞でした。『そういえば日本の国歌知らないな』と言われたのでYou Tubeで聞かせたら、『ん~、なんかスピリチュアルだね~』 と神妙な面持ち。日頃から紀元節のことなど、日本がいかに古い歴史のある国なのかということは話していましたが、まさか10歳にも満たない子供が日本の国歌を聴いてこんなレスポンスが返ってくるとは考えてもみませんでした。嬉しいような、少しくすぐったい気持ちにもなりました。
歌詞を日英訳でプリントし、『まだパパとママの国の国歌知らないから歌って教えて』と。日本にくらべ、海外では学校で国歌を普通に歌うため、国歌に対するアレルギーがないことを、まざまざと見せつけられた出来事でした。
米国では学校で国歌を歌うのが当たり前ですが、欧州ですとフランスやドイツでは国歌の歌詞に不快感を示す方も多くいらっしゃいます。独裁政治が続いたスペインでは、歌詞はあってもあえて歌わずインスト状態です。
日本でも疑問を持つことなく素直に、日本人が日本の国歌を斉唱できていたらなと、思わずにはいられません。海外から、余命チームと日本の保守の皆さまを応援しています。日本をどうぞ、よろしくお願いいたします。
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余命ブログ、2016年4月6日記事「576 2016年4月7日時事」より抜粋して引用
優游涵泳
最近、TVアニメ『 GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 』、『君が代』の話題で盛り上がっておりますので、遅れ馳せながら参戦しようと急ぎTVアニメ『 GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 』を確認致しました。なるほど、これは面白い。近年の世情を反映した結果、作品化された事は観てみれば肌で感じるかと思います。
扨て、皆さんが論じている点とは別の視点でこの作品の面白さを、小生は論じて見ようと思います。その視点とは”法治”です。
この作品のストーリーは異世界と通じるゲートが東京銀座に出現し、そのゲートを通じて異世界の帝国が進軍し、日本と言う国家は侵略を受け否応無く日本は交戦国となる所から始まります。
異世界の帝国の水準はこの世界の歴史で比較すると、約400から500年程昔の体制で、軍装も中世欧州レベル。瞬く間に自衛隊に制圧され、異世界帝国軍は5000人規模の捕虜となります。更に、自衛隊は更なる侵攻を阻止する為に、異世界(作中では”特地”と表現されている為、以後特地と表現する)に派遣されます。
ここは、現実世界の日本ではサヨク連中が騒いで、すんなりと行くかどうか疑問ですね。
ゲートを挟んで東京銀座の対岸に位置する特地アルヌスを占領、駐屯地を築き日本本国の安全を確保し特地調査を開始する訳ですが、ここで特地に生息する西洋風ドラゴン(炎を吐き、人間を襲う)炎龍と遭遇するのです。その炎龍によって居住地を追われた被災民を、自衛隊は難民としてアルヌス駐屯地近辺に居住区を築き保護します。そう言った自衛隊の活動がキッカケとなり、アルヌス駐屯地付近に自然派生的に酒保街(PX)が発展して行きます。
ここで皆様、お気付きになったでしょうか?酒保街での治安維持に、警察が登場しないのです。登場するのは「警察」の腕章を付けた自衛官です。
これは、特地は飽くまでも占領地であって日本国領土では無い為、日本国憲法の効力が及ばない事に由来し、その場合国際的なルールにより占領地での治安維持は占領軍が担う必要がある為です。
特地人から「緑の人(制服の色から)」と呼ばれる自衛隊に、炎龍退治を依頼しに来たダークエルフの”ヤオ・ハー・デュッシ”が酒保街で騒ぎを起こした際も、自衛隊のMPによって身柄確保されてますね。
また、炎龍の活動地が特地交戦国である帝国とは別の国である為、自衛隊は「別の国への進軍は侵略にあたる」として、ダークエルフ”ヤオ・ハー・デュッシ”の依頼を断っています。また、特地帝国軍属捕虜返還に関しても、戦時国際法に基づいた対応を日本国がとっている事も注目して頂きたい所です。
この様にこの作品では、我々日本国民の多くが軍事アレルギーによって、スッポリ欠落させられた『戦時国際法』を学ぶ事も出来る作品でした。ここで歴史的知識のある方なら既にお気付きになっているのではないかと思うのですが、旧日本軍の大陸派遣隊と実に状況が被るのです。
次に『君が代』ですが、折角TVアニメに触れましたので、ここでも絡めてみようと思います。かなり古いアニメの様ですが、嘗て忌まわしき朝鮮玉入れのCMに使われた事がありましたので、御存知の方もいらっしゃると思います。
『創聖のアクエリオン』のオープニングテーマソング、その名も創聖のアクエリオンの歌詞の一節に下記があります。
一万年と二千年前から愛してる
八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった
一億と二千年あとも愛してる
君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない
この歌詞って、君が代と通ずるものがあると思いませんか?
この歌詞では直接的に「○年」と表現されていますが、昔風の表現なら「千代に八千代に」とか「苔のむすまで」になるのでしょう。この歌詞にも”君(キミ)”と言う言葉が用いられていますが、「君は君主を意味し、軍国主義を象徴する歌で、けしからん!!」などと火病ってる輩を小生は存じません。
何で騒がないのでしょうね?それもその筈で、日本に於いて”君”は敬う相手を意味する『キミ』であって、『クン』では無いからでしょう。
支那発祥の漢字本来の意味では”君”は「人民をぶっ叩いて酷使する君主」、つまり『クン』なのですが、大和言葉に”君”をあてた際に敬う相手を意味する『キミ』に転じました。この辺りは、歴史的に日本と支那の統治機構の違いもあり、すんなりと定着したのでしょう。従って『君が代』は”クンがよ”では無く、”キミがよ”なのですね。
既に『君が代』が祝言の席で詠まれていた史実に触れられておりましたが、これは”君”が人それぞれで不特定多数を意味し、そこに「永久の愛」が込められていたからなのでしょう。
こう言うふうに書いてみると、我が国の国歌はラブソングだったのですね。国家がラブソングの国って、すこしテレますね。皆様御存知の通り、他国の国歌は実に勇ましく「敵をぶっ殺せ!」的なものが多い中、我が国の国歌はラブソングなのですよ。これは誇るべきなのでしょうけど、ちょっと恥ずかしいかな・・・。
アニメに関する汚鮮の話題もありましたが、お粥が参鶏湯に化けた作品も調べてみました。これ、当時結構話題になった様で、卒業式でしたか講堂に国旗が掲揚されていない事なども批評のタネになった様です。
同様の”配慮”は『 GATE(ゲート) 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 』でもなされているらしく、外国向けの同作品では日章旗が削除されているとの事です。
扨て話戻して参鶏湯問題ですが、これは同人誌(二次創作物)として「サムゲ荘のキムチな彼女」が発行され、何故か韓国本国で火病っていたとの事です。是非はともかく、見事に仕返しされた形となった様です。
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余命ブログ、2016年4月6日記事「575 2016年4月6日時事」より抜粋して引用
YMT
花のごとし への返信
花のごとし様
YMTと申します。「きみがよ」の解説ありがとうございます。
特に、’き’、’み’の解説を読んでるうちに、小学校時代の運動会や行事で歌った「八幡市歌」を思い出しました。「天の時(秋?)を得、地の利を受けて」で始まり、(旧)八幡製鉄所を中心に北九州工業地帯として発展して来た歴史を誇らしく歌った歌詞です。
子供の頃は、歌詞の意味もわからないままに歌っていたのですが、その最後の歌詞が「僕らは(我等は?)御国(みくに)の’おきな(おのこ?)’なり、私は(我等は?)御国(みくに)の’おみな’なり。勉強のときも遊びにも、今日の感激忘れるな。」と言う歌詞なのです。
その歌詞のうち「僕らは(我等は)・・・」の部分を当然男子生徒のみが歌い、「私は・・’おみな’なり」の部分は当然女子生徒のみが歌うのですが、小生、何故か「僕らは・・・」と歌った後も、女子生徒の声につられて、つい「私は・・・’おみな’なり」と一緒に歌う癖があって、周りから「お前は女か?」と笑われたことを思い出しました^^
WIKIを見ると、旧八幡市は現在北九州市に統合されているため、旧八幡市歌の歌詞は記載されていません。現在編集中となっていますし、小生も・・十年前のことで、歌詞自体もうろ覚えですが、大和言葉の大切さを実感しました。
小生の小学校時代は、未だ戦後の混乱期だったのですが、その時代にあっても戦前の作である八幡市歌を教えてくれた先生方には只感謝です。言葉(國語)は大切ですね。改めて実感しました。
名無し
「君は君主、僕は下僕からきている」と見かけて以降、君と僕の使いどころには気を付けてますが、「君が代における君は天皇陛下」というのは多分そうだろうなと思っています。
自分は30代ですが、東京多摩地域の小中学校の授業で君が代を教わった記憶が一切ございません。卒業式などでは音楽が流れるだけ。その度に「何これ?」と思っていました。
二十歳を過ぎて、その頃よく聞いていた歌手がサッカー日本代表の試合前に君が代を歌う動画をYoutubeで知り、それがきっかけで歌詞を覚えました。
歌詞の意味は…深く調べてないですが、多数の解釈を目にしたように思います。エラばれた人々による意味改変なぞはお断りしたいですが…文科省が統一見解みたいなのを出してたりするんですかね?
日の丸や君が代、見直しを検討してもいいのではないかと考えています。麻薬国家からの決別の意味でも。少なくとも、英米等の人々が誇らしく堂々と自国の国家を歌っているのが羨ましい限りです。
301737
桜、満開になりましたね。雨も止んで花見散歩に出かけたら、浅草、吾妻橋の袂でご老人のみなさんが”アベ政治を許さない” ”戦争法案廃止”を掲げ署名活動をしていた。せっかくきれいな花を見てきたのに台無しにする忌まわしい奴らだ。この連中、ほとんど戦後生まれだろうな、と思いながら前を通り過ぎる。
雑踏のなかで父を思い出す。
”俺はこの国を守らなければ、と思って志願した”
私が小学生のころ聞いた、今は亡き父の言葉だった。その言葉以外父は何も言わなかった。私は何がなんだかわからず黙ってしまった。もう半世紀くらい前のことだ。先人の意志を今だからこそなおさら感じる。この日本という国をどう思っていたか。先のご老人を見て、そんな父を誇りに思う今日この頃である。
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余命ブログ、2016年4月5日記事「571 2016年4月5日時事」より抜粋して引用
もぐら
私も日章旗をポールと共に購入し、旗日の29日に掲揚するつもりです。昭和の日って、なんだかわけのわからない名称になってしまったけど。旭日旗は、堂々と室内リビングに飾っています。
真周
余命プロジェクトチーム様、余命読者様お疲れ様です。
皆様のお気持ち察するに余りあるのですが、最近投稿内容が荒くなってきたのが心配です。有事の際には、自衛隊による各種関係施設への対応なども想定されますが、ドラマ一本観終わる程度で完遂してしまうでしょうから、過敏に反応しなくても大丈夫でしょう。
むしろ我々一般人は、家族全員が一週間乗り切れる分の備蓄をする、といったことを粛々とすべきと思います。週末を利用して、トイレ風呂以外をペットボトルの水だけにした場合、どのくらい必要か試してみるのも良いかもしれません。暖かくなってきましたし、キャンプで慣れておくのも良いですね。通常のキャンプ用品以外に、結束バンド、パラシュートコード、剣スコップ、鉈などを用意すると、想定外の対応もこなせるのでおすすめです。
>子宮頸がんワクチン訴訟
個人的には、積極的接種勧奨中止を解除・再開させるためのプロレスではないかと勘繰っていますが、余命爺様より調査中である旨のお言葉を頂けただけで感謝でございます。大変でしょうが、引き続きよろしくお願い致します。
>君が代
『ねずさんのひとりごと』が発信源ですから、直接確認されたほうが手っ取り早いでしょう。また、特亜の思考回路についても非常にわかりやすく説明されているので、敵を知る上では参考になると思います。
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余命ブログ、2016年4月5日記事「570 巷間アラカルト⑱」より抜粋して引用
罵詈雑言
余命さま,スタッフさま
お疲れ様です。
夜霧のガイコツこんばんは様,もぐら様、改行コードが飛んでしまい読みにくくなっている文を拾ってコメントいただき、ありがとうございます。
夜霧のガイコツこんばんは様は購入された6本すべてを寄進なさったのですね。剛毅な方です。桜・日章旗のいずれもが、日いずる国の象徴ですから、もちろんお似合いですよね。
私と日章旗の思い出としては、ロサンゼルス・オリンピックで柔道の山下泰裕選手が足に怪我を負いながら見事金メダルを獲得した時の表彰式ですね。掲揚される日章旗・君が代・山下選手の涙に、日本人である誇りで熱く込み上げる物がありました。
もぐら様、五月晴れの空に日章旗は綺麗ですよぉ。29日は、まだ、4月ですけど…(汗
国旗・国歌法でググりますと、以下の論文を見つけました。
<国旗・国家法の立法過程の検討:小野善康(憲法学者)>
※菅直人元首相ブレーンの経済学者とは同一同名の別人
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/2709/1/al-no68p139-169.pdf
学術論文なので、かなり長文です。著者は立法過程を問題視しており、左的な部分もありますが、事実に関しては淡々と左右のどちらも取り上げられているように見えます。出典の裏付けはとっていません。一応国立大学の学術論文ですから…。
時事ネタを拾っていない人は知らないかもしれませんが、国旗・国歌が法律で明確に制定されたのは平成に入って、ほんの10数年前です。教職員組合の悪名高い広島県で、世羅高校校長が国旗掲揚と君が代斉唱に関し、教職員組合と対立し自殺したことで、国旗・国歌の法制化の流れが一気に加速・成立されたとされています。
この論文の中で、私も初めて知りおもしろかったのは、戦後、返還前の沖縄で沖縄教職員会(後の沖縄県教職員組合)が日の丸掲揚運動をしていたとの部分です。著者も後の沖縄県教職員組合が国旗掲揚・君が代の反対にあたり、先の日の丸推進運動の反省・総括がなされていないと指摘しています。
えぇ~?って思いますよね。現在の半日ゲリラ最前線、それも県教組が日の丸推進だぁ?ってことは、やっぱり…日の丸推進の遺伝子を引き継いでいないDNAが破損した奴らや、赤い人たちが沖縄で反対してるんですね。
与野党の対応や社会情勢の記述もあり、なかなかおもしろいです。特に余命で知った各党の事実を踏まえたうえで読むと、当時は何とも思わなかったことの背景にあるものが見えてきて、下手な週刊誌よりよっぽど楽しく読めます。
この時、『法制化しなければならない・国民に愛国心の醸成を促さなければならない』本当の狙い・理由があったんでしょうね?余命爺?
(罵詈雑言)
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余命ブログ、2016年4月5日記事「569 巷間アラカルト⑰」より抜粋して引用
夜霧のガイコツこんばんは
日章旗の掲揚だが自分は小型の安値のを6本購入しあちこちの公園の桜に1本づつ差してきた。去年までは普通の日の丸だったが今年は情勢に合わせて日章旗にした。
それにしても桜の花と日本国旗はほんと良くにあう。これほど美しくカッコイイものがこの世にあるのかと思えてくる。
こんなのは人それぞれの好みだが日本国旗や日章旗を張った部屋でロックを聴くと精神が高揚してくる。若い時は日章旗を見ながらよくアンルイスを聴いたものです。
だいたい「君が代」や「日の丸」はパンクだ。教科書には「明治維新により日本は西欧列強国の仲間入りをはたしました~」とカンタンに書いてるが刀を鉄砲に持ち換え、袴をスーツとネクタイに着替え、物質的な拘りを潔く捨てて半分西欧人になりすまして当時(現在でも)地球全体を支配していた白人列強国の悪しき支配体制を日本精神を持って覆えそうとした心意気をこの歌と旗には感じてしまう。突き詰めればGHQのパシリか自分達がパシリに使われてるのに気付かない日教組教師達がこの歌と旗を否定するのは当然だろう。
話がどんどんそれてしまいますが最近は桜が綺麗に咲いているのに花見禁止の公園が増えた。周囲に民家の無い河川敷や海岸の砂浜でもバーベキュー禁止。理由はゴミを持ち帰らず散らかしたまま放置するかららしいがウチの町内会は今までもそんな事はした事が無い。
確かに公園にポイ捨てする者もいるんだと思うが花見のような町内会での行事は責任者や役員がいてそんな事は絶対にさせない。そもそも月に2回各公園や河川敷を町会で清掃している(この時既に何の行事もしていないのにゴミだらけだが)。
大型の公園は次々に花見禁止になり我々町内会は小さな公園で追いやられるかのように今年は花見をした(通行人や公園に遊びに来る他の人にはこちらの方が邪魔になると思うんだが)
この花見の準備をしている時、花見には参加しないはずの隣町にある焼肉店の経営者がずっと側について様子を見ていた。商売にガメつい事で有名なこの店主、内心「こんなとこで寿司食わなくてもウチで焼き肉食べてくれたらええのに」と思ってるんじゃないか?と思わず勘ぐってしまった。
花見こそ日本の文化だ
彼らはどこかでウザイと思ってるんじゃないか?
あれをやるなこれは禁止だ
最近居酒屋でも煙草を吸えない店があるがこんなのももしかしたらアチラさんらが意図的にやっているんじゃないか?
少なくとも今のところ禁煙の焼き肉屋は見た事が無い。
来年の花見の段取りは自分も町内会長に同行してみようと思う。なぜ周囲に民家も無くダダっ広い公園が使用禁止なのか?なぜ焼き肉をしてはいけないのか?交渉の時に役所からどんな人が出てくるのか楽しみにしている。
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余命ブログ、2016年4月4日記事「568 2016年4月4日時事」より抜粋して引用
YUKI
慶子様がご紹介くださった『君が代』の訳に感動いたしました。
私の住まいの向かいには、小学校があります。毎年3月、4月になると、卒業式や入学式のための『君が代』の練習をする子供たちの明るく大きな声が、小学校の体育館や音楽室から聞こえてきます。歌を指導する先生も、大きな声で歌ってらっしゃいます。
こちらの地域は民主王国と言われた愛知県の西三河地方ですが、公立の小中学校について、教員の方々はとくに日教組色は強くないように思います。行事の際の君が代斉唱や国旗掲揚はあたりまえ。校門には毎日、国旗と校旗が掲げられています。
秋の運動会の入場行進や式は、まるで自衛隊の行進のように整然と行って、校長先生には敬礼。節目の行事には礼儀正しくするように教えられてきました。
公立校の教育がそのような地域ですから、「元」支持政党が民主であっても、なにか違うのだろうなということは感じています。次の選挙で自民党がどれだけ盛り返せるか、楽しみにしています。
ところで地元愛知県の書店(三洋堂書店)ですが、ハンドブックは発売当初から書店の目立つコーナーに表紙をおもてにして並べられていました。現在は「ベストセラー」のコーナーに5冊摘まれています。最初の余命本のほうは、「国際・時事」コーナーへ移動して、石平さんやケントギルバートさんの本の近くで、平積みになっています。
(YUKI)
花のごとし
>慶子さんへ
君が代については諸説ありますが、「君が代」と書いてはいけません。元は「きみがよ」です。
結婚式の祝い歌で歌われていたのが、日本の国家になったというのが有力な説になっています。大和言葉で、「おきな」「おみな」と言うのは、男と女を表しています。「きみ」とは、お”き”な・お”み”なの、「きみ」を取って、夫婦の事を表す言葉です。なので、結婚式の祝いの席にうたわれていたのです。
「君」は天皇陛下を表すという方がいますが、古くから結婚式で歌われている歌が、天皇を指すはずもないです。日本人なら、この感覚は至極真っ当な感覚だとご理解頂けるでしょう。
日本に潜入している中国系等が、漢字をあてはめたくて仕方がないという事です。沖縄の選挙で万単位で住民が増えるのもその影響です。
.....とりあえず本稿にあげておいたが、異論が出てきそうなのでコメントはその時に。
信濃注:
学説もその見方もいろいろあると思います。しかし個人的には、君が代の君は天皇陛下と考えるのが自然だと思います。
天皇陛下は日本国の元首であり象徴。従って、君が代の歌詞は天皇陛下、および、天皇陛下を生み出す皇室に象徴される日本国が千代に八千代に続きますように、という願いなのではないでしょうか。
(信濃注、以上)
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余命ブログ、2016年4月4日記事「564 国防事案②」より抜粋して引用
罵詈雑言
余命さま、スタッフさま お疲れ様です。
余命読者の皆さまに、ご提案です。
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祝祭日には日章旗を掲揚しませんか?
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都心や在日が多く存在する地域では無理かもしれませんが、その他の地方にお住いの方はいかがでしょうか?
我が家では祝祭日には日章旗を掲揚しています。個人的には旭日旗で火病をおこさせるのも一興と思いますが、標的にされて家がなくなってしまいますと困りますのでしていませんけど…。 忙しさに取り紛れて忘れる日があることは、どうかご内密に…(汗;
私が子供の頃、祝祭日に日章旗が掲揚されているのはごく普通の風景でした。いつからか、気が付いた時には掲揚していないことが普通の風景になっているように思います。
大和の民として、まさに旗色を鮮明にしませんか?まさかの有事の際にも、いつも日章旗掲揚しているお家は味方かも?あちらの方はなりすましがお得意のようですが、なりすますにしても日章旗掲揚は少しだけハードルが高いのではないでしょうか。
余命さまが常々おっしゃっているように、可能な人が自分のできる範囲で、できるだけするだけでも町が違って見えるのではないでしょうか。子供さんと日本について話す機会にもなると思いますよ。我が家はそうでしたから。
日章旗(国旗)掲揚をご一考いただけましたら幸いです。
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余命ブログ、2016年4月3日記事「559 2016年4月2日時事」より抜粋して引用
慶子
余命様プロジェクトの皆様怒濤の更新ありがとうございます。そしてお疲れ様です。
ハンドブック5冊購入しましたが拝読が精一杯で前著(7冊購入)のように素早く拡散が出来ずにいる内に3月も最終日に…明日からは新年度ですね。
ちょっと気になってた国歌の意味をメモしたものを探し出せたので、コメントしてみようと思ったら赤字が…こちらへ飛んで来る迄に、catmousetailさんの替え歌を賞賛しながら辿り着きました。
『君が代』
古今和歌集の「賀の歌」の最初にあるとの事で、医療の発達してない時代は何が一番おめでたいというと、年齢を1つ積み上げる事でした。正月に氏神様に年齢を重ねる事が出来た感謝のお墓参りに行った帰りに、族長(血統の長)の家に集まって歌合わせの会を行い、その時に我子の長寿を願って歌われたのが「君が代」のもとになっていますとありました。
歌(行替えなしで入れさせて頂きます)
1番*わがきみは、千代にやちよに、さざれいしの、いわおとなりて、こけのむすまで
2番*わたつみの、はまのまさごを、かぞえつつ、君がちとせの、ありかずにせん
3番*しほの山、さしでのいそに、すむ千鳥、きみがみよをば、やちよとぞなく
4番*わがよはひ、きみがやちよに、とりそへて、とどめおきては、思ひいでにせよ
訳…『 愛しい愛しい我子よ。何年も何年もずっとずっと長くこの家と共に無事に生きてください。我家の入口のそばに小石の山が積んであります。それが大きな岩の帆のようになっています。先祖代々、小石を自分の命、家の命と思い、こんなに大きくなるまで積み上げて参りました。あなたはこのたくさんの石の数の寿命があります。だからたくさん長生きできます。そして岩帆に苔ができるようになるまで、誰にもこの家を荒らされずに、平和に、そして無事に生きてください』と言いながら、母親はお参りの帰り道に拾ったひとつの小石を我子の寿命のひとつと思い、ていねいに愛情をこめながら積み上げていったのだろう。
1番は我子の寿命だけでなく、族長の家の繁栄無事をも歌っています。
山の頂上や河原に石が高く積んであるのを見た事がありますよね。岩帆とはそれをもっと大きくしたイメージです。その頃の生活道路は石がごろごろしていて、住民は家の前の道の石を取り除き、それを高く積み上げていたのです。その岩帆に苔がむしているという事は、その家が昔から戦争もなく繁栄している事を意味します。
2番はこの海の砂1粒1粒は我子の1年1年。この砂をお母さんが今から数えますよ。だからあなたは私が数えた砂の数だけ生きておくれと言いながら、母親は砂を1粒1粒ではなく、一塊をつかんで砂山をつくり、それを何度も何度もくり返し、これで数千年は我子の命は大丈夫と安心するまで数えたに違いない。
3番は死骨の山=死んだ人の骨の山が埋葬されている山に昔から住んでいる千鳥や早瀬出の磯=死んだ人を流す潮の流れの早い磯に、昔から住んでいる千鳥が来てちよちよと泣いているのが聞こえますか?人の寿命を知っているあの千鳥があなたの寿命はたくさんたくさんあるよと鳴いているのよと言いながら、母親は我子の寝顔をやさしく見つめた。そしてまた千鳥の鳴き声が聞こえてくると嬉しそうな安心した笑顔を見せたにちがいない。
4番は私の寿命の分もあなたに差し上げますよ。神社で長寿を願う私のお札(ふだ)をあなたのお札(ふだ)にくっつけておきましたよ。だから私の分まで長生きしてくださいね。そして長生きしてそのお札(ふだ)を神社で発見する事があったら私の事を思い出してね。
1番は陸、2番は海、3番は空、4番は神を歌い、共通のテーマは長寿、共通単語は「千」です。後世、この歌から「千歳飴」ができたんですよ。特に1番は江戸時代まで正月や結婚式やおめでたい席やお祭りでは必ず歌われていた歌です。長寿と家の繁栄、平和、無事を願って歌われたのです。
以上がメモですが、本当に最近(昨年)までメモしながら感動した事を忘れてました。
政治的な発言を超えてA級とか、日本人でありながらB層とか目に余るものを考えていたら国歌を理解してなかったという方をおみうけし、私達は親からも教師からも大事な事を教わらずに来てしまったと、此処で日本人として日本のために何が出来るかのヒントを与えてくださっていると、改めて思うのです。
更新が途絶えると心配ですが、お身体に気を付けて頂き5月の3冊目の出版まで頑張ってください。夜分に長々と失礼致しました。
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改訂履歴
※2016.4.25、記事追加
※2016.4.23、記事追加
※2016.4.21、記事追加
※2016.4.20、記事追加
※2016.4.12、記事追加
※2016.4.11、新規作成
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