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2016年6月22日水曜日

日本人とは何者なのか? 有史以前から現代に繋がる日本の地理的・歴史的特徴より


 余命ブログで、読者さんから大変、興味深く、味わい深い引用文が紹介されました。
 日本人とは何者なのか。有史以前から古代、そして現代へと繋がる日本の地理的・歴史的特徴から、日本人とは何者なのかを探る文章です。余命ブログの更新に伴って埋もれてしまってはもったいない。引用元の著者の簡単なご紹介は添付資料にまとめました。よろしければどうぞ。



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信濃注: 出典
NPO法人 岡崎研究所ホームページ >> 記事 >> エッセー >> 世界における日本人
(以上)



余命ブログ、2016年6月14日記事「856 巷間アラカルト106」より抜粋して引用
(読者さん投稿)
余命様・皆々様
 色々とお忙しい時に申し訳ありません、私が時々訪れる岡崎研究所HPをご紹介させて下さい。既に同じような内容が動画などで紹介されていますのでお邪魔でしたら削除お願い致します。
 本文は4千字ほどになります。

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世界における日本人
by 岡崎久彦 on 2013年6月 4日 16:38

 日本人とは一体何者なのだろうか?
 それが最近改めて問われたのは、東日本大震災以来である。
 在日米軍は、大震災と津波の報に接して、時を措かずに「ともだち作戦」を実行した。現地の交通が途絶しているなかで、沖合に空母を浮かべて、ヘリや上陸用舟艇等の機動力をフルに使って救援活動に従事した。
 ところが、行ってみると、全てが驚嘆することばかりだったという。どこに行っても、住民から礼儀正しい感謝の念を以て迎えられる。救援物資を提供すると、この場所はまだ大丈夫だから、他にもっと困っている地域があるなら持って行って欲しいと言われる。
 混乱に乗じたいかなる犯罪行為も暴力にも遭遇しない。すべての活動において、ピストル一梃を携帯する必要もなかった。アメリカでもカトリーヌ台風に襲われたニュー・オーリンズではこうは行かなかった、と言うのである。
 そして、感想を漏らしたという。「文明国、シヴィライズド・ネイションとはこういうものか!」と。

 こうした日本人の特質は、大震災の前から指摘はされていた。日本が財政赤字と少子高齢化社会を抱え、平成に入って以来、長い経済的停滞に沈み、中国に追い越されても、なすすべもなく、政治では、鳩山、菅と、おそらくは日本憲政史上最低の内閣が続き、もう日本はおしまいだと言われた時期があった。
 そうした中でも、アメリカの日本専門家たちは、―もちろんそれが彼らの役割であるのであるがー日本を弁護する論陣を張っていた。
 こうした日本への期待が最低の時期にマイケル・オースリンは言っている。
 「これだけの社会的変動にもかかわらず、今でも、日本は一体性のある、犯罪の少ない、安定した社会である。殺人率は10万人について0.5人という驚くべき低さであり、しかもその過半数は親類、知己の間である。(強盗殺人はほとんど無いの意)教育水準も高いままである。国民は政治経済の停滞に不満ではあるが、ロシア人のように飲んだくれているわけでもなく、中国人のように暴動に訴えているわけでもない。・・・」
 その前から良く言われていることは、東京は、世界でただ一つ、夜中に女性が一人で歩いても安全な都市であるということであり、お釣り銭を確かめずにそのままポケットに入れる唯一の国民だということである。お互いを完全に信頼し合って生きているのである。

 それがどこから来るのか、それが国家の将来にとってどういう意味があるのか、長い間、漠然と、その意味を探ろうと思っていた。
 今年私は長谷川三千子女史と『日本の民主主義に将来はあるか』と言う対談本を出した。そして、古代ギリシャにおける民主主義の発生とそれが辿った歴史、そして、ノルマン人の支配の下のアングロサクソン社会において生まれた民主主義とその近代の発展、そして、それのフランス、アメリカへの波及の経緯を論じているうちに、一国の政治と言うものは、その国の地理的歴史的環境、その民族の伝統を越えられないものであることがわかってきた。

 それならば、こういう日本特有の国民性の淵源はどこに求めたらよいのであろうか。そしてそれが日本の政治の将来にどういう影響をもたらすのだろうか。
 こうした、疑問が浮かんできた折も折、古事記の一四〇〇周年記念の年となり、日本歴史ブームも起こっている。そこで、日本民族の遠い過去の歴史に遡って日本人の国民性の淵源を探りたいという気持ちになった。

 まず縄文時代に遡って、小林達雄先生の教えを乞うているうちに、縄文時代には飢饉が無かったということを教わった。日本の縄文時代の文明の歴史は従来考えられていたものより古く、五千年ぐらい前にはすでに定住村落があったようであるが、大陸の古代文明と違う所は、それが農耕社会でなく狩猟採取社会であり、また、外敵から身を護る城市の必要が無かったということである。
 たしかに、飢饉と言うものは、特定の作物特に米、麦の生産に適さない不順な気候が一年以上続いた場合に起こる。東京湾付近で貝を採取し、森で栗やドングリを拾って、それに適した人口を維持してきた社会が、急に食糧不足に陥るということはあり得ないのであろう。
 また、氷河時代が終わって、一万年ぐらい前に、日本にわたって来た縄文人にとって、日本列島は未開の新天地であったろう。旧石器時代の遺物はあるようであるが、人口比から言ってそんなものは問題外である。とすれば、十八、九世紀におけるアメリカの西部開拓と同じで、移住者にとって生活範囲を広げるチャンスは無限にあった。

 また、備えるべき外敵も無かった。かつて石平氏と日本の歴史を論じた時、彼は感嘆していた。外敵による大殺戮もなく、大飢饉も無い、そんな幸せな歴史を持つ国があるだろうか、と。
 もちろん日本が米作時代に入ってからは時折の飢饉はあった。また、戦国時代には信長による一向宗信徒虐殺などもあった。しかし、それは中国民族が史書に詳しく書いて残しているような大殺戮、大飢餓の歴史に較べれば、日本国民は想像できないぐらい恵まれた環境の中で育って来た民族だというのである。

 日本人の甘さはそこからも来ている。敗戦のとき、関東軍は「居留民の保護に万全を期せられたい」という降伏条件の下に、武器をソ連軍に引き渡した。しかし、いったん武力を失ったあとの日本人に対する暴虐、凌辱は誰もが知っている通りである。
 ソ連、フィンランド戦争の末期、フィンランドの救国の英雄マンネルハイム将軍は、「国軍はまだ健在である。国軍を失えば、停戦も無い」と判断して粛々と降伏して、国民の安全を護った。関東軍も在留邦人を全部日本に送り返してから武装解除すれば良かったのである。日本人の歴史的なナイーヴさが、満州の悲劇を招いたのである。

 日本人は相手の善意を信頼してしまう。一言で言えばおっとりしているのである。それは日本の恵まれた歴史的環境が生んだものである。
 私は同じような例をタイで見た。バンコック周辺は今や穀倉地帯であるが、人間が定住する十四,五世紀までは無人の沼沢地帯だった。史上常に新田開発途上であり、食糧はありあまり、タイには「飢餓」に相当する言葉が無い、という。
 そう言えば日本を発してアジア大陸を、朝鮮半島、満州、華北、華南、ベトナムと回ってタイに至るまで、レストランでサーヴィスの女性が警戒心なく笑顔で迎えて呉れるのは、日本とタイだけである。
 奈良朝の繁栄も、関東平野の開発が進んでいた最中であった。日本で初めて、銅が採れた、金が採れたという時代である。国が滅ぼされた高句麗、百済の人はもとより、統一新羅の繁栄を誇った新羅からも移民が関東に入居している。大英帝国から、アメリカに移住する人が居たと同じである。
 縄文時代から弥生時代を経て、奈良時代まで、経済のパイが増大し続けたという恵まれた環境が、いまに至る日本人の余裕のある態度を産んだのであろう。

 もう一つ私がかねて心にかかっていることがある。
 韓国に在勤した時私は兪鎮午という哲人を毎月のように訪問して、韓国政治について教えを乞うた。兪鎮午氏は、まだ李朝の頃というから七、八歳のころであろう、その時習字をした白楽天の琵琶行の詩があまりに見事なので皇帝に献上されたという伝説的な大秀才である。日本時代,京城帝国大学が創設されたが、それに入学を許された最初の朝鮮人であり、卒業の時は一番だったという。李承晩に対抗して大統領選挙に出馬した時に脳梗塞を患い、それ以降は引退していられた。
 その兪鎮午氏が言っていた。日本時代日本人は朝鮮人は愛国心が無いと言って蔑視した。朝鮮人にも愛国心はある。ただ、日本人の愛国心の特色はそれが政府と一体になっているところだ。蒙古の朝鮮半島侵略の際は王室は江華島に逃避して安寧を貪り、人民は何十年も蒙古の劫略に曝された。それで国民が政府を信用するわけがないではないか、と。
 朝鮮人は政府の言うことを聞くと必ず騙されると思っていた。現に、東学党の乱の始まりは、政府が治水のためと言って農民を動員してダムを作らせた上で、水の使用料として重税を課したのを怒った農民が、ダムを破壊したのが発端である。

 江華島に避難した高麗高宗の時期は、日本では、まさに後世まで武家政治の手本と仰がれた北条泰時の治世である。
 日本には仁徳天皇以来の善政の伝統がある。単なる説話とも言えようが、記紀には武烈天皇の虐政の記録もあるのだから、あながち嘘とも言えない。というよりも、善政の語り伝えがあるという事実だけで、国民の政府に対する信頼感が違うのである。また、江戸時代だけでも、真に善政を行おうという名君、賢臣が輩出している。
 日本人ほど国家社会を信頼して生きている国民は無い。日本以外のどの国民でも、いざというときに持って逃げる貴金属、宝石の類は持っている。日本人のように有り金を全部郵便局に預けて安心している国民などはない。
 明治百年のときに、老人たちに何が一番のショックだったかと訊いたのに対して、異口同音に二・二六事件だと答えていた。その間日清,日露の大戦争があり、広島の原爆があり、敗戦と占領もあった。しかし、すべての事件において、国民は政府と一体になって、政府を信頼して生きてきた。それが二・ニ六事件では、政府がクーデターで倒される危機に直面したので、国民が誰に頼って良いのか分らなくなったのである。また裏から言えば、国民はそれほどに政府に信頼して生きているのである。

 最後に日本の皇室の国事に対する御精勤ぶりにはただただ頭が下がる。また、両陛下の御製の中に顕われている常に国、民を思う御心には感動する。そして何よりも私が驚嘆するのは、陛下にお仕えする宮内庁、警察の下々までが、それを当然と考えていることである。
 こんな皇室、王族が、他に、世界にあり得るだろうか。千何百年の歴史で、他の王朝のどこにも現れる佞臣、奸臣の類はほとんど無い。

 以上、私のまだ浅い日本史の勉強で、不思議に思うことを未整理のまま書いた。まだまだこれからも日本人の特質を知る勉強を続けようと思っている。
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 皆様のお心の穏やかなるひと時となりますよう。。
(引用以上)





以下、添付資料

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wikipedia-岡崎 久彦 (2016.6.22、19:30追記)
 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年4月8日 - 2014年10月26日)は、日本の元外交官、評論家。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた元外交官である。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。
(引用以上)
(追記以上)



NPO法人 岡崎研究所ホームページ >> 研究所概要 >> 所長紹介

岡崎久彦(おかざき ひさひこ)

NPO法人岡崎研究所所長・理事長
生年月日:1930年4月8日
出生地:大連

略歴
1952年 東京大学法学部在学中に外交官試験合格、外務省入省
1955年 ケンブリッジ大学経済学部学士及び修士課程修了
1978年 防衛庁国際関係担当参事官
1981年 ジョージタウン大学戦略国際問題研究所客員フェロー
     ランド・コーポレーション客員フェロー
     ハーバード大学客員研究員
1982年 外務省調査企画部長
1984年 初代外務省情報調査局長
      駐サウディ・アラビア大使
1988年 駐タイ大使
1992年 外務省退官、(株)博報堂特別顧問
2002年 NPO法人岡崎研究所 所長
(引用以上)



NPO法人 岡崎研究所ホームページ >> 研究所概要 >> 所長著書

地域研究

『隣の国で考えたこと』(ペンネーム・長坂覚)(日本経済新聞社 1977年):日本エッセイストクラブ賞受賞、韓国に関するエッセー。『なぜ日本人は韓国人が嫌いなのか』(ワック 2006年)として再出版。
『クーデターの政治学』(中央公論社 中公新書 1983年) :タイに関する著書。タイ専門家との共著

国際情勢判断・戦略

『緊張緩和外交』(国際問題研究所 1971年)
『国家と情報』(文藝春秋 1980年)
『戦略的思考とは何か』(中央公論社 中公新書 1983年)サントリー学芸賞受賞
『情報・戦略ノート』(PHP研究所 1984年)
『米・中・ソの戦略構想と日本の羅針盤』(野田経済研究所 1985年)
『歴史と戦略について』(PHP研究所 1990年)
『新しいアジアへの大戦略』(読売新聞社 1993年)
『国際情勢の見方』(新潮社 1994年)
『国際情勢判断-歴史の教訓・戦略の哲学』(PHP研究所 1996年)
『新「戦略的思考」』(徳間書店 1998年)
『情勢判断の鉄則-21世紀の世界と日本の選択』(PHP研究所 1999年)
『日本外交の分水嶺』(PHP研究所 2000年) 
『アジアにも半世紀の平和を』(PHP研究所 2001年2月)
『岡崎久彦の情報戦略のすべて』(PHP研究所 2002年)
『日本外交の情報戦略』(PHP研究所 2003年)
『国家戦略からみた靖国問題』(PHP研究所 2005年)
『この国を守るための外交戦略』(PHP研究所 2005年)
『台湾問題は日本問題』(海竜社 2008年)
『二十一世紀をいかに生き抜くか』(PHP研究所 2012年)

文化全般に関する批評

『繁栄と衰退と』(文藝春秋 1991年)
『悔恨の世紀から希望の世紀へ』 (PHP研究所 1994年) :『日本は希望の新世紀を迎えられるか』(廣済堂出版 2000年)として再出版
『陸奥宗光』(上・下)(PHP研究所 1987年):近代外交史シリーズ
『陸奥宗光とその時代』(PHP研究所 1999年)「外交官とその時代」シリーズ第1巻(『陸奥宗光』(上・下)とは独立した著書)
『小村寿太郎とその時代』(PHP研究所 1998年)「外交官とその時代」シリーズ第2巻
『幣原喜重郎とその時代』(PHP研究所 2000年)「外交官とその時代」シリーズ第3巻
『重光・東郷とその時代』(PHP研究所 2001年)「外交官とその時代」シリーズ第4巻
『吉田茂とその時代』(PHP研究所 2002年)「外交官とその時代」シリーズ最終巻
『なぜ気功は効くのか』(海竜社 2000年)
『百年の遺産-日本の近代外交史73話』(産経新聞ニュースサービス 2002年)
『どこで日本人の歴史観は歪んだのか』(海竜社 2003年)
『教養のすすめ』(青春出版社 2005年)
『歴史の教訓』(PHP研究所 2005年):五百旗頭真氏、井上寿一氏、北岡伸一氏、坂元一哉氏、御厨貴氏との「外交官とその時代」シリーズをもとにした対談本。
『真の保守とは何か』(PHP研究所 2010年)
『明治の外交力』(海竜社 2011年)

しゃべり言葉で書かれた啓蒙書

『自分の国を愛するということ』(海竜社 1999年)

監訳

ハミルトン・フィッシュ著『日米開戦の悲劇―誰が第二次大戦を招いたのか』(PHP研究所 1992年)
ヘンリー・キッシンジャー著『外交』上下巻 (日本経済新聞社 1996年)

その他

フジサンケイグループ 第11回 鹿内信隆正論大賞受賞 (1995年)
(引用以上)





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改訂履歴
※2016.6.22、添付資料追加(19:30)

4 件のコメント:

  1. 「神国日本」という言葉の持つ意味を、歴史から眺めたらそうなると思います。

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    返信
    1. 古来より、日本は八百万の神々と一緒に生きている国ですね。
      自然そのものと自然を司る神々を畏れ敬い、感謝しながら一緒に生きている。神話の神々は長い歴史の中で先祖に繋がっていく(直接的に神話から続く家系だけでなく、婚姻関係も含めて)。身近な山川草木に宿る神々を敬うように隣人を敬う。日本人的な「神国」の感覚だと思います。
      日本人的な「神国日本」を大事にしたいですね。キリスト教圏、イスラム教圏の国々も「神国」だという説があるでしょうが、日本人とは感覚的に違うでしょうね。

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  2. 友人で無くなるこども覚悟の上で、余命本も渡しながら1年以上かけて、会うたびに汚鮮を説明し、ようやく最近覚醒した友人に教えようと思い、ワードにコピペして印刷したものをバッグに入れてます。
    次回会った時に渡す予定です。

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    1. ご友人が目覚めてくれて良かったですね。本記事もぜひお渡しください。日本をより大切に感じていただけると思います。故人となられた著者・岡崎氏のご供養にもなると思います。

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