余命ブログを読み慣れていない方へ、理解しやすい読み方の順序(タイトル右下の「目次へ移動」から「余命まとめ目次」もご参照ください)
①日本再生計画(計画の概要)  ②敵を分散&個別撃破せよ(対処フロー)  ③以降は興味のある記事からどうぞ

有事の最低限度(有事とは人の命がかかった実戦です)
有事・要警戒リスト ・有事の身分証明は必須 ・武力攻撃やテロなどから身を守るために  おまけ 護身特集

・当ブログはリンクフリーです。詳細はこちら → 自己紹介

2017年9月5日火曜日

【信濃雑感】士魂凡才


 ちょっと息抜きしましょうか。自虐的に見えるかもしれませんが、別に凡才だからってどうってことないです(笑)



士魂凡才(しこん - ぼんさい)

 凡人であり、武人ではないけれど、武人の魂・武人の心の「ようなもの」は持っていたい。武人の魂・武人の心は分からないけれど、国、地域、故郷、家族、仲間を「思う心」は持っていたい。という意味。士魂商才のもじり。
 武士道精神をまともにやったら凡人は生きていけません(笑) でも、全くやらないわけでもない。高望みはしないけど、できる範囲ならやりたい。
 武士道なんて言っても、もともと厳密なものではないから、人によって解釈が異なってもいい。今の時代に合う部分だけやってもいい。ささやかでいいから、人それぞれに、できる範囲で。

※信濃が勝手に作った造語です。



デジタル大辞泉 - 士魂商才
《「和魂漢才」からの造語》武士の精神と商人の才能を兼備すること。
(引用以上)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下、添付資料
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

添付資料一覧

引用

デジタル大辞泉 - 和魂漢才

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 和魂漢才

wikipedia - 和魂漢才

デジタル大辞泉 - 武士道

wikipedia - 武士道

・「武士道」、新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説、1997.7.15 新装版第1冊、三笠書房刊
※訳本の目次のみ引用
武士道」英文原著、新渡戸稲造著(当時37歳)、1898年(明治31年)米国フィラデルフィア「The Leeds and Biddle Company」刊

wikipedia - 奈良本辰也



リンクのみ

wikipedia - 新渡戸稲造

wikipedia - 渋沢栄一(士魂商才の提唱者)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

デジタル大辞泉 - 和魂漢才
《「菅家遺誡(かんけいかい)」から。もとは、学問から得た知識と実生活上の才知の意で、総合的な判断力をさした語》中国の学問を学んで、それを日本固有の精神に即して消化すること。
(引用以上)



ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 和魂漢才
「和魂」は日本民族固有の精神,「漢才」は中国伝来の知識,学問をいう。 10世紀頃より現れた概念で,日本固有の精神をもって中国の学問を吸収,消化することを意味し,日本の文化,学問の特質をなすにいたった。
(引用以上)



wikipedia - 和魂漢才
 和魂漢才(わこんかんさい)とは、日本の思想史上の言葉の一つで、日本固有の精神「やまとだましひ(大和魂)」と、中国伝来の学問「からざえ(漢才)」という対なる概念のことであり、また、その両者を合わせることの意味でもある[1]。
 平安時代中期に成立した概念で、当時の支配階層であった貴族層が学問の基礎を漢籍の知識すなわち「からざえ」に置いたのに対し、実生活における知識あるいは判断力・処世術の類までを含めた行動・人柄を指して「やまとだましひ」と称した。これは当時の社会において漢詩と和歌、唐絵と大和絵が併称されたのと同様の現象であった。
 室町時代に作られた偽書『菅家遺誡』にて、菅原道真の時代よりも後世である元寇の産物である神国思想の影響を受けて「和魂漢才」の語が登場し、精神的な意味合いが強調されるようになる。
 幕末に平田派国学の影響を受けて、より国粋主義的あるいは尊皇攘夷などの政治的なメッセージを含めた形で広められた。そして、日清戦争で日本が漢土(中国)の帝国清朝に勝利したことにより、漢才の概念は切り捨てられ、残された和魂→大和魂が「日本精神」とともに軍国主義・国家主義を支える精神的なスローガンとして第二次世界大戦敗戦まで盛んに喧伝されることになる。
(引用以上)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

デジタル大辞泉 - 武士道
日本の武士階級に発達した道徳。鎌倉時代から発達し、江戸時代に儒学思想と結合して完成した。忠誠・勇敢・犠牲・信義・廉恥・礼節・名誉・質素・情愛などを尊重した。士道。
(引用以上)



wikipedia - 武士道
武士道は、日本の近世以降の封建社会における武士階級の倫理・道徳規範及び価値基準の根本をなす、体系化された思想一般をさし、広義には日本独自の常識的な考え方をさす。これといった厳密な定義は存在せず、時代は同じでも人により解釈は大きく異なる。また武士におけるルールブック的位置ではない思想である。一口に武士道と言っても千差万別であり、全く異なる部分が見られる。
明治時代の思想家新渡戸稲造の著書『武士道』についても本稿で述べる。
(引用以上)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「武士道」、新渡戸稲造著、奈良本辰也訳・解説、1997.7.15 新装版第1冊、三笠書房刊

武士道」英文原著、新渡戸稲造著(当時37歳)、1898年(明治31年)米国フィラデルフィア「The Leeds and Biddle Company」刊

※私が本書を買った十数年前、訳者・奈良本氏の来歴は考えてもいませんでした。奈良本氏の訳本をお読みになるのであれば、氏の思想的背景を勘案しながら読めば良いかと思います。他の方による訳本もありますから、そちらをお読みになっても良いかと思います。

「武士道」、奈良本氏訳本、目次

第一章 武士道とは何か
第二章 武士道の源をさぐる
第三章 「義」武士道の光り輝く最高の支柱
第四章 「勇」いかにして肚を錬磨するか
第五章 「仁」人の上に立つ条件とは何か
第六章 「礼」人とともに喜び、人とともに泣けるか
第七章 「誠」なぜ「武士に二言はない」のか
第八章 「名誉」苦痛と試練に耐えるために
第九章 「忠義」人は何のために死ねるか
第十章 武士は何を学び、どう己を磨いたか
第十一章 人に勝ち、己に克つために
第十二章 「切腹」生きる勇気、死ぬ勇気
第十三章 「刀」なぜ武士の魂なのか
第十四章 武士道が求めた女性の理想像
第十五章 「大和魂」いかにして日本人の心となったか
第十六章 武士道は甦るか
第十七章 武士道の遺産から何を学ぶか

訳者による註
訳者による解題
訳者による解説



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

wikipedia - 奈良本辰也

 奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - 2001年3月22日)は、日本の歴史家。京都帝国大学卒、立命館大学教授、京都国際外国語センター学院長などを歴任。日本中世史、幕末史、特に郷里でもある長州藩に関係した著作多数。

来歴・人物

 山口県大島郡大島町出身。旧制岩国中学(現山口県立岩国高等学校)を経て、1935年3月旧制松山高等学校文科甲類を卒業[1]、1938年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業[2]。西田直二郎に師事。林屋辰三郎[3]たちと雑誌『日本史研究』を刊行した。京都イングリッシュセンター(1969年-2000年、現在 京都国際外国語センター)の学院長を務めた。
 日本近世思想史や明治維新史の研究を手がける。1960年代に入ってからは一般向けの歴史読物の執筆が多くなり、それとともに左翼的主張が影をひそめていった[4]。 後年は戦国時代の一般書を多く出版し、「日本歴史の旅」『日本歴史の旅 戦国コース』(新人物往来社)などは広く読まれ、戦国史を啓蒙した書籍である。
 1985年から理事・顧問を務めた京都造形芸術大学の芸術文化情報センター内には奈良本辰也記念文庫があり、奈良本の蔵書や書斎の様子、遺品などが公開されている[5]。

経歴[6]

1938年 兵庫県立豊岡中学(現兵庫県立豊岡高等学校)教諭。教え子に山田風太郎がいた[7]。
1939年 京都市史の編纂事業に従事
1945年 立命館大学文学部専任講師
1947年 同助教授
1948年 同教授
1968年 部落問題研究所の業績を認められ、代表者として朝日賞を受賞
1969年 大学紛争に際し立命館大学教授を辞任
1977年 京都イングリッシュ・センター学院長
1985年 学校法人瓜生山学園理事
1995年 「京都府文化賞特別功労賞」を受賞

(引用以上)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
改訂履歴
※2017.9.5、新規作成

1 件のコメント:

  1. おい、俺の発言に文句言いたい奴、言うなら堂々とリンク貼れよ。リンクも貼らないでほんの一部だけ切り取ってグズグズ言うな! 後は読者さん自身が判断するんだよ。

    返信削除

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。