余命ブログを読み慣れていない方へ、理解しやすい読み方の順序(タイトル右下の「目次へ移動」から「余命まとめ目次」もご参照ください)
①日本再生計画(計画の概要)  ②敵を分散&個別撃破せよ(対処フロー)  ③以降は興味のある記事からどうぞ

有事の最低限度(有事とは人の命がかかった実戦です)
有事・要警戒リスト ・有事の身分証明は必須 ・武力攻撃やテロなどから身を守るために  おまけ 護身特集

・当ブログはリンクフリーです。詳細はこちら → 自己紹介

2017年8月30日水曜日

外患罪、北方領土問題への適用に関する一考察(→NG、後日再出稿)


※2017.8.31追記(12:00)
 帝政ロシアと締結した日魯通好条約(1855年)というのがありましたね。この条約で、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認したようです。帝政ロシアの後継政権であるソ連が、日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦したとはいえ、日魯通好条約が「正式」に破棄されている訳ではありません。
 本稿は訂正の上で再出稿とします。
(追記以上)



 北方領土の帰属問題を解決した上で、日露平和条約を締結すべく動いている政治家の方々が外患罪に当たるのか否か。日露共同経済活動等の対露援助などが外患罪に当たるのか否か。
 結論から申し上げますと、外患罪に当たるか否かは未定です。判断できるのは裁判所のみ。最終判断は最高裁判所です。その上で私見を述べますと、外患罪には当たらないと考えます。

 北方領土問題で引き合いに出されることのある竹島問題との違いは、帰属国家の既決・未決です。北方領土は帰属国家が未決であるのに対して、竹島はサンフランシスコ講和条約で日本に帰属することが決まっています。
 従って、北方領土で露軍(旧ソ連軍)が軍事演習することは、帰属未定の地を軍事的に占領している証になります。対して、竹島で韓国軍が軍事演習することは、日本の領土を軍事的に占領している証になります。

 詳細は複雑な部分がありますので、以下、順を追って解説いたします。まずは事実関係から。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2017.8.31追記(11:00)

 ご存じのように、日本の外務省は北方領土を「日本固有の領土」と主張し、北方領土付近の国境が確定した地図を掲載しています。私もそれで良いと思います。日本はサンフランシスコ講和条約により、署名・発効した国々から「北方領土は日本領である」と認められたのですから当然です。
画像引用元:外務省ホームページ、トップページ > 外交政策 > その他の分野 > 日本の領土をめぐる情勢 > 北方領土 > 北方領土問題の概要 > 北方領土問題とは?

 さて、下記で何度も説明していますが、ソ連(現ロシア)はサンフランシスコ講和条約に署名していません。ソ連は北方領土が日本領であると認めていないのです。これに対して日本は、サンフランシスコ講和条約で「ソ連以外」の国々から認められたものと同じく、「北方領土は日本領である」とソ連に認めさせた上で平和条約を締結すべく、現在に至るまで交渉を続けているのです。ソ連(現ロシア)との国境線は、当事国の日ソ(日露)間では確定していないのです。
 ちなみに、ソ連も参加を表明(1945.8.8)したカイロ宣言では、南樺太、千島列島、北方領土の放棄は謳われていません。日ソ共同宣言でも南樺太、千島列島、北方領土の帰属は決まっていません。
 韓国もサンフランシスコ講和条約に署名していませんが、これは署名できなくて当然です。そもそも講和する資格がありません。ポツダム宣言を受諾して「帝国陸海軍」が降伏した当時、現在の韓国は大日本帝国の一部、帝国陸海軍の一部だったのです(韓国併合条約、1910.8.22署名、1910.8.29発効)。
 ポツダム宣言については、大日本帝国側の受諾通知・署名・発効により、第一次世界大戦以降に大日本帝国統治下に入った地域の放棄を受け入れました。しかし、「いつか放棄する」ことを約束しただけで、具体的にいつ放棄するかは決まっていません。実際に「放棄した」のはサンフランシスコ講和条約の発効時点となります。

wikipedia-日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約) >> 内容 >> 領土の放棄または信託統治への移管
(前略)
・朝鮮の独立を承認。済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄(第2条(a))
(後略)
(引用以上)

日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約、条文PDFへのリンク) 外務省ホームページ、トップページ > 外務省について > 国会提出条約・法律案 > 条約 > 条約データ検索
第二章 領域
第二条
領土権の放棄
(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(引用以上)

wikipedia-ポツダム宣言 >> 内容 >> 日本語 >> 現代語訳(例)
(前略)
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
(後略)
(引用以上)

(前略)
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
(後略)
(引用以上)

wikipedia-韓国併合ニ関スル条約

(2017.8.31追記、以上)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

事実関係

 大東亜戦争末期、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言への参加を表明、大日本帝国に宣戦布告(いずれも1945.8.8)。名実ともに大日本帝国の「敵国」となる。大日本帝国はポツダム宣言を受け入れ、「帝国陸海軍」は無条件降伏(1945.8.14受諾、1945.9.2調印・即時発効)。ポツダム宣言第8条により、カイロ宣言(1943.12.1発表)各条の「履行」も受け入れる(異論はあるようだが)。カイロ宣言には満州、台湾、澎湖諸島(台湾海峡内、現台湾領)、および、第一次世界大戦以降に大日本帝国統治下に入った地域の放棄が謳われており、大日本帝国はこれを受け入れる。ただし、カイロ宣言に南樺太と千島列島、北方領土は含まれていない。

※終戦の玉音放送は、ポツダム宣言の受諾通知の翌日、1945.8.15

 ポツダム宣言受諾により、大日本帝国は連合国軍の占領下に入る。日ソ関係は交戦中の敵国同士から、敵国同士ではあるものの戦勝国・敗戦国を認め合った関係に変わる。ポツダム宣言を受諾したのであるから、日本から攻撃の意思はないことになる。
 ちなみに、降伏当時、国内では旧外患罪が施行されていた。
 その後、連合国軍占領下の国内では日本国憲法を施行(1947.5.3)。刑法改正(1947.10)で旧外患罪を新外患罪に改正。サンフランシスコ講和条約に署名(1951.9.8)。日本はソ連との講話も模索したが、米国(占領軍主力)とソ連との対立、朝鮮戦争(1950.6.25~休戦1953.7.27~)もあり、ソ連は講和条約に署名せず。講和条約発効に伴い、日本国として独立を回復(1952.4.28発効)。

 講和条約発効 1952.4.28 ~ 国交正常化交渉開始 1955.6 の3年間、日ソ関係には公式な接点なし。ただし、日ソともに国交回復を模索する動きはあった模様。
 朝鮮戦争休戦後の1955.6、日ソは国交正常化交渉を開始。日ソ共同宣言の署名、発効により国交回復(1956.10.19署名、1956.12.12発効)、戦争状態は正式に終結。ソ連は「敵国」ではなくなる。
 署名に当たり、南樺太、千島、北方領土の帰属問題は合意に至らず。結果、南樺太、千島列島は帰属未定のソ連(現ロシア)占領地となり、北方領土は日ソ(日露)双方が帰属を主張する帰属未定のソ連占領地となる。以後、北方領土の帰属問題を解決した上で平和条約を締結すべく、交渉が続く。現在に至るも交渉中。



簡単な解説

 日露関係は、北方領土問題(帰属問題)を解決した上で日露平和条約を締結すべく、現在も交渉中です。もう少し詳しく言えば、サンフランシスコ講和条約の署名(1951年)前から、日本はソ連との講和を模索しています。
 結果的に、サンフランシスコ講和条約での講和は成りませんでしたが、その後も早い段階で日ソ国交正常化交渉が始まり(1955年)、日ソ共同宣言(1956年)により国交回復しています。その後は現在に至るまで交渉が続いています。

 国交回復前の段階、ポツダム宣言が発効(1945年)して日ソ共同宣言が発効(1956年)していない段階、別の見方をすれば、攻撃の意思はないが和解は未成立の段階、この段階では、ソ連は条約上「敵国」のままではあるでしょう。しかし、講和や国交正常化を模索しているのですから、「敵国同士はもう辞めよう」という意図があると言えます。
 国交回復後は「敵国」でなくなったと言えるでしょう(「潜在」敵国ではあるかもしれませんが)。ただし、北方領土問題が残り、日露平和条約は締結に向けて交渉中なのですから、「概ね和解」、「部分和解」と言う方が正確でしょう。
 これらより、私見ではありますが、北方領土問題解決のために日露共同経済活動などを提案したりする政治家は、外患罪に当たらないと考えます。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

主な出来事(時系列)

ーーーこの段階では、ソ連は「潜在」敵国であって、現に戦争している敵国ではない

1936.11.25 日独防共協定署名
1939.8.23 独ソ不可侵条約締結

ーーーソ連、「準?中立国」となる

1940.9.27 日独伊三国同盟署名
1941.4.13 日ソ中立条約署名
1941.4.25 日ソ中立条約発効

ーーーソ連、正式な「中立国」となる

1941.12.8 太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)
1943.12.1 米英・中華民国、カイロ宣言発表
1945.7.26 米英・中華民国、ポツダム宣言発表

1945.8.8 ソ連、日ソ中立条約を一方的に破棄
1945.8.8 ソ連、ポツダム宣言参加を表明
1945.8.8 ソ連、対日宣戦布告

ーーー連、正式に「敵国」となる

1945.8.9 ソ連軍、満州国に侵攻開始
1945.8.11 ソ連軍、南樺太に侵攻開始
1945.8.12 ソ連軍、朝鮮半島北部に侵攻開始

1945.8.14 大日本帝国、ポツダム宣言受諾を米英・中華民国・ソ連に通告
1945.8.15 大日本帝国、終戦の玉音放送

1945.8.18 ソ連軍、千島列島に侵攻開始
1945.8.28 ソ連軍、北方領土に侵攻開始

1945.8.28 米軍150名、横浜上陸、横浜に連合国軍本部を設置

ーーー日本本土、連合国軍の占領下に入る
ーーー独立国家ではなくなり、占領軍の指令の下で統治

1945.8.29 ソ連軍、北方領土・択捉島を占領
1945.8.30 米軍マッカーサー元帥、厚木飛行場着

1945.9.2 大日本帝国、ポツダム宣言署名・即時発効
…ポツダム宣言第8条により、カイロ宣言各条の「履行」も受け入れる(異論はあるようだが)。カイロ宣言には満州、台湾、澎湖諸島(台湾海峡内、現在の台湾領澎湖県)、および、第一次世界大戦以降に大日本帝国統治下に入った地域の放棄が謳われており、大日本帝国はこれを受け入れる。ただし、カイロ宣言に南樺太と千島列島、北方領土は含まれていない。

ーーー大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)の「戦闘」状態が、「条約上」では終結
ーーー米英・中華民国・ソ連は戦勝国となり、大日本帝国は敗戦国となる
ーーー勝敗を認め合った「敵国」同士という状態、日本から攻撃の意思はないが和解は未成立

1945.9.1~9.4 ソ連軍、北方領土・国後島・色丹島を占領
1945.9.3~9.5 ソ連軍、北方領土・歯舞群島を占領
1945.9.5 ソ連軍、攻撃終了させる

1947.5.3 日本国憲法施行
1947.10 刑法改正(施行日不明)

ーーー国内・新外患罪、この辺りで施行される
ーーー2017年現在の刑事訴訟法、第337条2項「犯罪後の法令により刑が廃止されたときは免訴」(起訴できない)。従って、犯行当時に旧外患罪に抵触していても、旧外患罪による裁判はできない。法の不遡及(ふそきゅう)により、新外患罪は施行時以前まで遡って適用されない。

1948.8.15 大韓民国政府の樹立宣言、米国軍政の終了
1950.6.25 朝鮮戦争勃発

1951.9.8 サンフランシスコ講和条約署名
1952.4.28 サンフランシスコ講和条約発効
…ソ連は署名せず。従って、ソ連との講和は成立せず。
…講和条約締結に当たり、少なくとも日本はソ連との講和も模索

ーーー日本国として独立回復
ーーー大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)の「戦争」状態は終結(ソ連を除く)
ーーー和解した「旧敵国」となり、「現在の敵国」ではなくなる(ソ連を除く)
ーーー対ソ連は「敵国同士だが日本から攻撃の意思はなく、和解の意思がある状態」

1953.7.27 朝鮮戦争、休戦協定締結
1955.6 日ソ国交正常化交渉を開始
…講和条約発効 1952.4.28 ~ 国交正常化交渉開始 1955.6 の3年間、日ソ関係には公式な接点なし。ただし、日ソともに国交回復を模索する動きはあった模様。

1956.10.19 日ソ共同宣言署名
1956.12.12 日ソ共同宣言発効、国交回復
…日ソの戦争状態が正式に終結
…署名に当たり、南樺太、千島、北方領土の帰属問題は合意に至らず。結果、南樺太、千島列島は帰属未定のソ連(現ロシア)占領地となり、北方領土は日ソ(日露)双方が帰属を主張するソ連占領地となる。以後、領土の帰属問題を解決した上で平和条約を締結すべく、交渉が続く。現在に至るも交渉中。

ーーーソ連、正式に「敵国」でなくなる



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

添付資料一覧

引用



新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。



リンクのみ


wikipedia-日露関係史
wikipedia-北方領土問題

wikipedia-日ソ中立条約
wikipedia-太平洋戦争
wikipedia-ソ連対日参戦
…戦史の詳細あり
wikipedia-カイロ宣言
wikipedia-ポツダム宣言
wikipedia-澎湖諸島(台湾領)
wikipedia-玉音放送
wikipedia-連合国軍最高司令官総司令部
wikipedia-連合国軍占領下の日本
…1945.8.14~の年表あり

wikipedia-大韓民国
wikipedia-日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)
wikipedia-朝鮮戦争

wikipedia-刑法(日本)
wikipedia-外患罪
wikipedia-法の不遡及

外患罪、ソ連スパイ・ゾルゲ事件、日ソ中立条約締結下における旧外患罪の適用検討事例 2017.8.28

外患罪関連資料集、国会質問他(再出稿) 2017.6.6
外患罪告発、余命ブログ告発状記事、その他関連記事リンク集 2016.11.1
外患罪関連資料集、国会質問他(再出稿) 2016.10.11
外患罪関連資料集、国会質問他 2016.9.9
外患罪の法解釈その2、および、公訴時効に関する一考察 2016.8.29
外患罪、最高裁への適用に関する一考察 2016.6.18
外患罪の法解釈(対象行為、適用開始日時を含む) 2016.6.14



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下、引用文

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

wikipedia-日ソ共同宣言

経緯 >> 交渉開始まで

(中略) 1951年9月8日にサンフランシスコで日本国との平和条約が締結され、日本と連合国との戦争状態は正式に終結したが、講和会議に中国の代表として中華人民共和国を招請しなかった事に反発するソ連は、会議には出席したものの、条約調印は拒否した。そのため、1952年4月28日の条約発効とともに対日理事会が消滅した後は、日ソ両国の接点は失われた。
 ただし、ソ連も日本との外交関係回復は、同じ敗戦国の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)同様、戦後処理の政治的・経済的課題として存在しており、1953年のヨシフ・スターリン死去と朝鮮戦争の休戦は西側諸国との関係改善をより積極的に進める要素となった。
 日本でも親米主義に傾倒する吉田茂首相が1954年に退陣し、保守派ながらアメリカ以外の国も重視した独自外交を模索する鳩山一郎へ政権が交代した事で、外交交渉開始への環境が徐々に整っていった。また、日本の国際社会復帰を完成させる国際連合加盟には、日本の加盟案に対して国際連合安全保障理事会で拒否権を発動するソ連との関係正常化が不可欠であった。

経緯 >> 交渉の経緯

 1955年6月、ロンドンの在英ソ連大使館で国交正常化交渉が開始された。

(後略)
(引用以上)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号) 電子政府の総合窓口 e-Gov

第三百三十七条  左の場合には、判決で免訴の言渡をしなければならない。
一 確定判決を経たとき。
二  犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。
三  大赦があつたとき。
四  時効が完成したとき。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


外患罪、適当なこと言ってる奴いるな、誤誘導になってるぞ(→新旧外患罪比較) 2017.8.27

(前略)

 新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。
 新法でいう武力行使の有無(武力行使の成立要件)、および、具体的にどの行為が外患援助罪に当たるのかを判断するのは裁判所。最終判断は最高裁判所。

(中略)

wikipedia-外患罪

概説

(中略)

信濃注:
・旧法の前提条件:敵国があること、武力行使があること
・新法の前提条件:日本に武力行使した外国があること
(以上)

 元来は戦争状態の発生及び軍隊の存在を前提とした条文だったが、日本国憲法第9条の関係で、昭和22年(1947年)の「刑法の一部を改正する法律」(昭和22年法律第124号)により根本的に改正され、「戰端ヲ開カシメ」「敵國ニ與シテ」等の字句や、利敵行為条項(第83条〜第86条)・戦時同盟国に対する行為(第89条)等、日本国政府が戦争の当事者であることを意味する規定を削除・改正している。ただし、武力の行使が前提となることに変わりはない(サイバー攻撃や金融・通貨を含む経済戦争には対応していない)。

 刑法新旧条文の比較は以下の通り。



旧条文

第81条[外患誘致]
外國ニ通謀シテ帝國ニ對シ戰端ヲ開カシメ又ハ敵國ニ與シテ帝國ニ抗敵シタル者ハ死刑ニ處(処)ス

信濃注:
外国に通謀して大日本帝国に対して開戦させ、または、敵国に与して大日本帝国に敵対した者は死刑とする。
(以上)

第82条[外患援助]
要塞、陣營、軍隊、艦船其他軍用ニ供スル場所又ハ建造物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑ニ處ス
兵器、彈藥其他軍用ニ供スル物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス

信濃注:
要塞、陣営、軍隊、艦船、その他、軍用に提供する場所、または、軍用に提供する建造物を敵国に交付した者は死刑とする。兵器、弾薬、その他、軍用に提供する物を敵国に交付した者は死刑、または、無期懲役とする。
新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。
(以上)

第83条[通謀利敵]
敵國ヲ利スル爲、要塞、陣營、艦船、兵器、彈藥、汽車、電車、鐵道、電線其他軍用ニ供スル場所又ハ物ヲ損壊シ若クハ使用スルコト能ハサルニ至ラシメタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス

信濃注:
敵国を利するため、要塞、陣営、艦船、兵器、弾薬、汽車、電車、鉄道、電線、その他、軍用に提供する場所、または、軍用に提供する物を損壊し、もしくは、使用できない状態にした者は死刑、または、無期懲役とする。
(以上)

第84条[同前]
帝國ノ軍用ニ供セサル兵器、彈藥其他直接ニ戰闘ノ用ニ供ス可キ物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ處ス

信濃注:
大日本帝国の軍用に提供させていない兵器、弾薬、その他、直接に戦闘に使う物を敵国に交付した者は、無期、または、三年以上の懲役とする。
(以上)

第85条[同前]
敵國ノ爲メニ間諜ヲ爲シ又ハ敵國ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ五年以上ノ懲役ニ處ス
軍事上ノ機密ヲ敵國ニ漏泄シタル者亦同シ

信濃注:
敵国のためにスパイ活動をし、まはた、敵国のスパイ活動を助けた者は死刑、または、無期、もしくは、五年以上の懲役とする。
(以上)

第86条[同前]
前五條ニ記載シタル以外ノ方法ヲ以テ敵國ニ軍事上ノ利益ヲ與ヘ又ハ帝國ノ軍事上ノ利益ヲ害シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ處ス

信濃注:
前の五条(81条~85条)に記載した以外の方法で敵国に軍事上の利益を与え、または、大日本帝国の軍事上の利益を害した者は二年以上の有期懲役とする。
(以上)

第87条[未遂]
前六條ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

信濃注:
前の六条(81条~86条)の未遂罪は罰する
(以上)

第88条[外患予備・陰謀]
第八十一條乃至八十六條ニ記載シタル罪ノ豫備又ハ陰謀ヲ爲シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ處ス

信濃注:
第八十一条~八十六条に記載した罪の予備、または、陰謀をした者は一年以上十年以下の懲役とする。
(以上)

第89条[戰時同盟國ニ対スル行爲]
本章ノ規定ハ戰時同盟國ニ對スル行爲ニ亦之ヲ適用ス

信濃注:
本章の規定は戦時の同盟国に対する行為にも適用する。
(以上)



新条文

第81条[外患誘致]
外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

第82条[外患援助]
日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。

第83条乃至第86条 削除

第87条[未遂]
第八十一条及び第八十二条の罪の未遂は、罰する。

第88条[外患予備・陰謀]
第八十一条又は第八十二条の罪の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の懲役に処する。

第89条 削除

(引用以上)



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
改訂履歴
※2017.8.31、タイトル変更、「外患罪・・・一考察」→「外患罪・・・一考察(→NG、後日再出稿)」
※2017.8.31、解説追加、冒頭
※2017.8.30、新規作成

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。