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2017年8月31日木曜日

外患罪、北方領土問題への適用に関する一考察(訂正再出稿)


 読者さんにご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。謹んで訂正し、再出稿いたします。
 墓穴を掘ったと笑う声が聞こえてきそうですが、そんなもんは埋めればいいんです。転圧して固めれば今までより堅くなるでしょう。ラーメン屋さんがチャーシュー麺と普通のラーメンをあべこべに出しちゃって、ごめんなさいして太っ腹に連れにも一緒にチャーシュー3枚ずつサービスしたら、次は別のお客さんも連れてきてくれるってやつでしょう。



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以下、訂正の上で再出稿

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目次

1.結論
2.日本政府の見解
3.ソ連(現ロシア)視点を交えた考察
4.主な出来事
5.添付資料



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1.結論

 北方領土の帰属問題を解決した上で、日露平和条約を締結すべく動いている政治家の方々が外患罪に当たるのか否か。日露共同経済活動等の対露援助などが外患罪に当たるのか否か。
 結論から申し上げますと、外患罪に当たるか否かは未定です。判断できるのは裁判所のみ。最終判断は最高裁判所です。その上で私見を述べますと、外患罪には当たらないと考えます。

 以下、私見を述べていきます。

 まず端的に申し上げますと、ソ連(現ロシア)は、日魯通好条約(1855)、樺太千島交換条約(1875)、ポーツマス条約(1905)のいずれでも日本領と確認している北方領土を、軍事占領している状態です。また、ソ連は大西洋憲章にも参加(1941)しましたが、第1条~第3条に定められた「領土不拡大方針」を無視して軍事占領している状態です。

信濃注:日露和親条約(日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)(以上)

 サンフランシスコ講和条約は少し事情が違います。米英仏をはじめとする署名各国は「北方領土は日本領である」と認めました。しかし、ソ連は署名していませんので、「北方領土は日本領である」と改めて認めることはなかった、ということになります。なお、署名していないソ連は講和条約上の権利を主張できません。
 日ソ共同宣言(1956.10.19署名、1956.12.12発効)でも、北方領土が日本領であることを改めて認めることはありませんでした。

 この状態で日本は、「北方領土が日本領である」ことをソ連(現ロシア)に認めさせた上で平和条約を締結すべく、現在に至るまで交渉を続けているのです。
 政治家は、平和条約締結交渉の一環として、露政府経由で各種援助などをしています。この場合、露政府経由の援助の目的は、あくまで北方領土返還です。援助が露政府経由でどこに流れたとしても、多少なりとも北方領土返還に寄与することになるでしょう。
 仮に新外患罪で起訴された場合、ソ連の軍事占領は、構成要件「外国からの武力行使」に該当する可能性があります。新外患誘致罪の構成要件「武力行使させた者」、新外患援助罪の構成要件「武力行使に加担した者」については、該当する可能性は相当に低いでしょう。該否判断は裁判所によります。



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2.日本政府の見解

※以下、外務省ホームページから引用

画像引用元:外務省ホームページ、トップページ > 外交政策 > その他の分野 > 日本の領土をめぐる情勢 > 北方領土 > 北方領土問題の概要 > 北方領土問題とは?
(画像引用、以上)



北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)

トップページ > 外交政策 > その他の分野 > 日本の領土をめぐる情勢 > 北方領土 > 北方領土問題の概要 > 北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)

北方領土問題が発生するまでの歴史的経緯、概要は次のとおりです。

第2次世界大戦までの時期ーーーーー

日魯通好条約(1855年)

 日本は、ロシアに先んじて北方領土を発見・調査し、遅くとも19世紀初めには四島の実効的支配を確立しました。19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。日露両国は、1855年、日魯通好条約において、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の両国国境をそのまま確認しました。

信濃注:日露和親条約(日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)(以上)



樺太千島交換条約(1875年)

 日本は、樺太千島交換条約により、千島列島(=この条約で列挙されたシュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島)をロシアから譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を放棄しました。


ポーツマス条約(1905年)

 日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。



第二次世界大戦と領土問題の発生ーーーーー

大西洋憲章(1941年8月)及びカイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則

 1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。
 また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。



※信濃注ーーーーー()内の現代語訳は信濃による

大西洋憲章(英米共同宣言) 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所、データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)、日本政治・国際関係データベース

アメリカ合衆國大統領及ヒ連合王國ニ於ケル皇帝陛下ノ政府ヲ代表スル「チャーチル」總理大臣ハ曾合ヲ爲シタル後兩國カ世界ノ爲一層良キ將來ヲ求メントスル其ノ希望ノ基礎ヲ成ス兩國國策ノ共通原則ヲ公ニスルヲ以テ正シト思考スルモノナリ

(米英首脳は会合後、両国が世界のために一層良い将来を求めようとするその希望の基礎を為す両国国策の共通原則を公にし、これが正しいと考えるものである)

一、兩國ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス。

(一、両国は、領土、その他の増大を求めない。

二、兩國ハ關係國民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セサル領土的變更ノ行ハルルコトヲ欲セス。

(二、両国は、関係国民が自由に表明した希望と一致しない領土変更が行われることを望まない。

三、兩國ハ一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス。兩國ハ主權及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主權及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。

(三、両国は、一切の国民がその下に生活しようとする政体を選択する権利を尊重する。両国は、主権、および、自治を強奪された者に、主権、および、自治が返還されることを希望する。

(信濃注、以上)ーーーーー



ポツダム宣言(1945年8月受諾)

 ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。
 しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。

(注)日ソ中立条約(1941年4月)
 同条約の有効期限は5年間(1946年4月まで有効)。なお、期間満了の1年前に破棄を通告しなければ5年間自動的に延長されることを規定しており、ソ連は、1945年4月に同条約を延長しない旨通告。



※信濃注ーーーーー()内の現代語訳は信濃による

wikipedia-ポツダム宣言
>> 内容 >> 日本語 >> 現代語訳(例)
(前略)
8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
(後略)
(引用以上)

(前略)
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
(右同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または、占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並びに、満州、台湾、および、澎湖島のような日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還することにある
(後略)
(引用以上)


(信濃注、以上)ーーーーー



サンフランシスコ平和条約(1951年9月)

 日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。


(外務省ホームページからの引用以上、以上)



※信濃注ーーーーー

日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約、条文PDFへのリンク) 外務省ホームページ、条約データ検索にて「日本国との平和条約」で検索
第二章 領域
第二条
領土権の放棄
(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する島嶼に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(引用以上)
第二条(d)(e)(f)は引用省略

(信濃注、以上)ーーーーー




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3.ソ連(現ロシア)視点を交えた考察
(画像引用、以上)

 大東亜戦争末期、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言への参加を表明、大日本帝国に宣戦布告(いずれも1945.8.8)。名実ともに大日本帝国の「敵国」となる。ソ連は満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島、北方領土に侵攻開始。
 大日本帝国はポツダム宣言を受け入れ、「帝国陸海軍」は無条件降伏(1945.8.14受諾通知、1945.9.2調印・即時発効)。ポツダム宣言第8条により、カイロ宣言(1943.12.1発表)各条の「履行」も受け入れる(異論はあるようだが)。カイロ宣言では満州、台湾、澎湖諸島(台湾海峡内、現台湾領)、および、第一次世界大戦以降に大日本帝国統治下に入った地域の放棄が求められており、大日本帝国はこれを受け入れる(「放棄すること」を約束しただけで「いつ放棄するか」は未定)。ただし、カイロ宣言に南樺太と千島列島、北方領土は含まれていない。
 日本がポツダム宣言に調印、発効した後も、ソ連による侵攻は1945.9.5まで続く。

※終戦の玉音放送は、ポツダム宣言の受諾通知の翌日、1945.8.15

 ポツダム宣言受諾により、大日本帝国は連合国軍の占領下に入る。日ソ関係は交戦中の敵国同士から、敵国同士ではあるものの戦勝国・敗戦国を認め合った関係に変わる。ポツダム宣言を受諾したのであるから、日本から攻撃の意思はないことになる。ちなみに、降伏当時、国内では旧外患罪が施行されていた。
 その後、連合国軍占領下の国内で日本国憲法を施行(1947.5.3)、刑法改正(1947.10)で旧外患罪を新外患罪に改正。そしてサンフランシスコ講和条約に署名(1951.9.8)。日本はソ連との講話も模索したが、米国(占領軍主力)とソ連との対立、朝鮮戦争(1950.6.25~休戦1953.7.27~)もあり、ソ連は講和条約に署名せず。

 講和条約発効に伴い、日本は日本国として独立を回復(1952.4.28発効)。同時に、南樺太、千島列島、他を正式に放棄。また、「北方領土は日本領である」ことを署名各国が正式に認めることになった。
 ソ連(現ロシア)はサンフランシスコ講和条約に署名していないため、南樺太、千島列島の放棄を認めたことにはならず、同時に「北方領土は日本領である」ことを改めて認めたことにはならない。しかし、過去に締結した日魯通好条約(1855)、樺太千島交換条約(1875)、ポーツマス条約(1905)のいずれでも「北方領土が日本領である」と確認済み。かつ、ソ連は大西洋憲章(1941参加)第1条~第3条に定められた「領土不拡大方針」を認めている。ソ連(現ロシア)は、これら全てを無視して北方領土の軍事占領を継続。

信濃注:日露和親条約(日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)(以上)

講和条約発効 1952.4.28 ~ 国交正常化交渉開始 1955.6 の3年間、日ソ関係には公式な接点なし。ただし、日ソともに国交回復を模索する動きはあった模様。
 朝鮮戦争休戦後の1955.6、日ソは国交正常化交渉を開始。日ソ共同宣言の署名、発効により国交回復(1956.10.19署名、1956.12.12発効)、戦争状態は正式に終結。ソ連は「敵国」ではなくなる。
 日ソ共同宣言の署名に当たり、南樺太、千島、北方領土の帰属確認の文言は盛り込まれず。結果、南樺太、千島列島は帰属未定のソ連(現ロシア)占領地となる。条約上、日本領である北方領土は、ソ連が不法に軍事占領する地となる。以後、「北方領土が日本領である」ことを再確認した上で平和条約を締結すべく、交渉が続く。現在に至るも交渉中。

・・・・・

 ソ連側(現ロシア側)から見た場合、(自国から一方的に)日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告し、一旦、国交断絶した後に軍事占領したのだから、国交回復に当たっては戦勝国の権利として北方領土の帰属を変更できると「主張したい」のでしょう。
 実はこれは、日露戦争後の講和条約・ポーツマス条約(1905)で、日本が軍事占領した樺太全島のうち、北緯50度以南の南樺太の割譲を受けたのと同じことなのです。日露戦争前の段階では、樺太千島交換条約(1875)により、樺太全島は帝政ロシア領、千島列島は日本領となっていました。

 しかし、ソ連は大西洋憲章に参加(1941)しているため、第1条~第3条に定められた「領土不拡大方針」を認めていることになります。従って、ソ連(現ロシア)は、日魯通好条約(1855)、樺太千島交換条約(1875)、ポーツマス条約(1905)、大西洋憲章(1941参加)のいずれも無視し、北方領土を軍事占領している状態です。

信濃注:日露和親条約(日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)(以上)

 サンフランシスコ講和条約は少し事情が違います。米英仏をはじめとする署名各国は「北方領土は日本領である」と認めました。しかし、ソ連は署名していませんので、「北方領土は日本領である」と改めて認めることはなかった、ということになります。なお、署名していないソ連は講和条約上の権利を主張できません。
 日ソ共同宣言(1956.10.19署名、1956.12.12発効)でも、北方領土が日本領であることを改めて認めることはありませんでした。

 日本側から見れば、ソ連(現ロシア)が北方領土の割譲を正式に主張したいのであれば、ソ連側から日魯通好条約(1855)、樺太千島交換条約(1875)、ポーツマス条約(1905)、大西洋憲章(1941参加)のいずれも破棄せよ、と言いたい「かも知れません」(日米が有事にオホーツク海・太平洋航路を確保しようと思えば、あり得ないことですが)。しかし、ソ連側にしてみれば、過去の経緯もあって破棄は宣言したくないでしょう。
 日本は国際法に則る交渉姿勢を貫き、露は譲ろうとしない。この辺は「大国同士の交渉」という感じがします。日本は日露戦争に勝利し、戦前のある時期まで国際連盟の常任理事国を務め、第二次世界大戦では米英をはじめとする連合国とまともに戦ったのですから。

 日露関係は、「北方領土が日本領であること」を再確認した上で日露平和条約を締結すべく、現在も交渉中です。もう少し詳しく言えば、サンフランシスコ講和条約の署名(1951)前から、日本はソ連との講和を模索しています。
 結果的に、サンフランシスコ講和条約での講和は成りませんでしたが、その後も早い段階で日ソ国交正常化交渉が始まり(1955)、日ソ共同宣言(1956)により国交回復しています。その後は現在に至るまで交渉が続いています。

 国交回復前の段階、ポツダム宣言が発効(1945)して日ソ共同宣言が発効(1956)していない段階では、別の見方をすれば、攻撃の意思はないが和解は未成立の段階では、ソ連は条約上「敵国」のままではあるでしょう。しかし、講和や国交正常化を模索しているのですから、「敵国同士はもう辞めよう」という意図があると言えます。
 国交回復後は「敵国」でなくなったと言えるでしょう(「潜在」敵国ではあるかもしれませんが)。ただし、北方領土問題が残り、日露平和条約は締結に向けて交渉中なのですから、「概ね和解」、「部分和解」と言う方が正確でしょう。

wikipedia-日露和親条約
wikipedia-樺太・千島交換条約
wikipedia-日露戦争
wikipedia-樺太の戦い(1905年)
wikipedia-ポーツマス条約
wikipedia-国際連盟

wikipedia-日ソ中立条約
wikipedia-太平洋戦争
wikipedia-ソ連対日参戦
…戦史の詳細あり




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4.主な出来事

1855.2.7 日露和親条約締結(日露通好条約、下田条約、日魯通好条約)

1868 明治元年

1875.5.7 樺太千島交換条約署名
1875.8.22 樺太千島交換条約発効

1904.2.8 日露戦争勃発
1905.9.5 ポーツマス条約署名
1905.11.25 ポーツマス条約発効  

1917 ロシア革命
1922.12.30 ソ連樹立(ソビエト社会主義共和国連邦)

ーーーこの段階では、ソ連は「潜在」敵国であって、現に戦争している敵国ではない

1936.11.25 日独防共協定署名
1939.8.23 独ソ不可侵条約締結

ーーーソ連、「準?中立国」となる

1940.9.27 日独伊三国同盟署名
1941.4.13 日ソ中立条約署名
1941.4.25 日ソ中立条約発効

ーーーソ連、正式な「中立国」となる

1941.12.8 太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)
1943.12.1 米英・中華民国、カイロ宣言発表
1945.7.26 米英・中華民国、ポツダム宣言発表

1945.8.8 ソ連、日ソ中立条約を一方的に破棄
1945.8.8 ソ連、ポツダム宣言参加を表明
1945.8.8 ソ連、対日宣戦布告

ーーー連、正式に「敵国」となる

1945.8.9 ソ連軍、満州国に侵攻開始
1945.8.11 ソ連軍、南樺太に侵攻開始
1945.8.12 ソ連軍、朝鮮半島北部に侵攻開始

1945.8.14 大日本帝国、ポツダム宣言受諾を米英・中華民国・ソ連に通告
1945.8.15 大日本帝国、終戦の玉音放送

1945.8.18 ソ連軍、千島列島に侵攻開始
1945.8.28 ソ連軍、北方領土に侵攻開始

1945.8.28 米軍150名、横浜上陸、横浜に連合国軍本部を設置

ーーー日本本土、連合国軍の占領下に入る
ーーー独立国家ではなくなり、占領軍の指令の下で統治

1945.8.29 ソ連軍、北方領土・択捉島を占領
1945.8.30 米軍マッカーサー元帥、厚木飛行場着

1945.9.2 大日本帝国、ポツダム宣言署名・即時発効
…ポツダム宣言第8条により、カイロ宣言各条の「履行」も受け入れる(異論はあるようだが)。カイロ宣言には満州、台湾、澎湖諸島(台湾海峡内、現在の台湾領澎湖県)、および、第一次世界大戦以降に大日本帝国統治下に入った地域の放棄が求められており、大日本帝国はこれを受け入れる(「放棄すること」を約束しただけで「いつ放棄するか」は未定)。ただし、カイロ宣言に南樺太と千島列島、北方領土は含まれていない。

ーーー大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)の「戦闘」状態が、「条約上」では終結
ーーー米英・中華民国・ソ連は戦勝国となり、大日本帝国は敗戦国となる
ーーー勝敗を認め合った「敵国」同士という状態、日本から攻撃の意思はないが和解は未成立

1945.9.1~9.4 ソ連軍、北方領土・国後島・色丹島を占領
1945.9.3~9.5 ソ連軍、北方領土・歯舞群島を占領
1945.9.5 ソ連軍、攻撃終了させる

1947.5.3 日本国憲法施行
1947.10 刑法改正(施行日不明)

ーーー国内・新外患罪、この辺りで施行される
ーーー2017年現在の刑事訴訟法、第337条2項「犯罪後の法令により刑が廃止されたときは免訴」(起訴できない)。従って、犯行当時に旧外患罪に抵触していても、旧外患罪による裁判はできない。法の不遡及(ふそきゅう)により、新外患罪は施行時以前まで遡って適用されない。

1948.8.15 大韓民国政府の樹立宣言、米国軍政の終了
1950.6.25 朝鮮戦争勃発

1951.9.8 サンフランシスコ講和条約署名
1952.4.28 サンフランシスコ講和条約発効
…ソ連は署名せず。従って、ソ連との講和は成立せず。
…講和条約締結に当たり、少なくとも日本はソ連との講和も模索

ーーー日本国として独立回復
ーーー大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)の「戦争」状態は終結(ソ連を除く)
ーーー和解した「旧敵国」となり、「現在の敵国」ではなくなる(ソ連を除く)
ーーー対ソ連は「敵国同士だが日本から攻撃の意思はなく、和解の意思がある状態」

1953.7.27 朝鮮戦争、休戦協定締結
1955.6 日ソ国交正常化交渉を開始
…講和条約発効 1952.4.28 ~ 国交正常化交渉開始 1955.6 の3年間、日ソ関係には公式な接点なし。ただし、日ソともに国交回復を模索する動きはあった模様。

1956.10.19 日ソ共同宣言署名
1956.12.12 日ソ共同宣言発効、国交回復
…日ソの戦争状態が正式に終結
…署名に当たり、南樺太、千島、北方領土の帰属確認の文言は盛り込まれず。結果、南樺太、千島列島は帰属未定のソ連(現ロシア)占領地となる。条約上、日本領である北方領土は、ソ連が不法に軍事占領する地となる。以後、「北方領土が日本領である」ことを再確認した上で平和条約を締結すべく、交渉が続く。現在に至るも交渉中。

ーーーソ連、正式に「敵国」でなくなる




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5.添付資料

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添付資料一覧

引用


大西洋憲章(英米共同宣言) 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所、データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)、日本政治・国際関係データベース


新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。



リンクのみ
wikipedia-外患罪
wikipedia-法の不遡及

外患罪、ソ連スパイ・ゾルゲ事件、日ソ中立条約締結下における旧外患罪の適用検討事例 2017.8.28

外患罪関連資料集、国会質問他(再出稿) 2017.6.6
外患罪告発、余命ブログ告発状記事、その他関連記事リンク集 2016.11.1
外患罪関連資料集、国会質問他(再出稿) 2016.10.11
外患罪関連資料集、国会質問他 2016.9.9
外患罪の法解釈その2、および、公訴時効に関する一考察 2016.8.29
外患罪、最高裁への適用に関する一考察 2016.6.18
外患罪の法解釈(対象行為、適用開始日時を含む) 2016.6.14




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以下、引用文

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wikipedia-日ソ共同宣言

経緯 >> 交渉開始まで

(中略) 1951年9月8日にサンフランシスコで日本国との平和条約が締結され、日本と連合国との戦争状態は正式に終結したが、講和会議に中国の代表として中華人民共和国を招請しなかった事に反発するソ連は、会議には出席したものの、条約調印は拒否した。そのため、1952年4月28日の条約発効とともに対日理事会が消滅した後は、日ソ両国の接点は失われた。
 ただし、ソ連も日本との外交関係回復は、同じ敗戦国の西ドイツ(ドイツ連邦共和国)同様、戦後処理の政治的・経済的課題として存在しており、1953年のヨシフ・スターリン死去と朝鮮戦争の休戦は西側諸国との関係改善をより積極的に進める要素となった。
 日本でも親米主義に傾倒する吉田茂首相が1954年に退陣し、保守派ながらアメリカ以外の国も重視した独自外交を模索する鳩山一郎へ政権が交代した事で、外交交渉開始への環境が徐々に整っていった。また、日本の国際社会復帰を完成させる国際連合加盟には、日本の加盟案に対して国際連合安全保障理事会で拒否権を発動するソ連との関係正常化が不可欠であった。

経緯 >> 交渉の経緯

 1955年6月、ロンドンの在英ソ連大使館で国交正常化交渉が開始された。

(後略)
(引用以上)



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大西洋憲章(英米共同宣言)
※()内の現代語訳は信濃による

データベース「世界と日本」(代表:田中明彦)
日本政治・国際関係データベース
政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所
[文書名] 大西洋憲章(英米共同宣言)
[場所] 
[年月日] 1941年8月14日
[出典] 日本外交年表竝主要文書下巻,外務省,540頁.
[備考] 
[全文]

アメリカ合衆國大統領及ヒ連合王國ニ於ケル皇帝陛下ノ政府ヲ代表スル「チャーチル」總理大臣ハ曾合ヲ爲シタル後兩國カ世界ノ爲一層良キ將來ヲ求メントスル其ノ希望ノ基礎ヲ成ス兩國國策ノ共通原則ヲ公ニスルヲ以テ正シト思考スルモノナリ

(米英首脳は会合後、両国が世界のために一層良い将来を求めようとするその希望の基礎を為す両国国策の共通原則を公にし、これが正しいと考えるものである)

一、兩國ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス。

(一、両国は、領土、その他の増大を求めない。

二、兩國ハ關係國民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セサル領土的變更ノ行ハルルコトヲ欲セス。

(二、両国は、関係国民が自由に表明した希望と一致しない領土変更が行われることを望まない。

三、兩國ハ一切ノ國民カ其ノ下ニ生活セントスル政體ヲ選擇スルノ權利ヲ尊重ス。兩國ハ主權及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主權及自治カ返還セラルルコトヲ希望ス。

(三、両国は、一切の国民がその下に生活しようとする政体を選択する権利を尊重する。両国は、主権、および、自治を強奪された者に、主権、および、自治が返還されることを希望する。

四、兩國ハ其ノ現存義務ヲ適法ニ尊重シ大國タルト小國タルト又戦勝國タルト敗戰國タルトヲ問ハス一切ノ國カ其ノ經濟的繁榮ニ必要ナル世界ノ通商及原料ノ均等條件ニ於ケル利用ヲ享有スルコトヲ促進スルニ努ムヘシ。

(四、両国は、その現存義務を適法に尊重し、大国・小国、また、戦勝国・敗戦国を問わず、一切の国がその経済的繁栄に必要な世界の通商、および、原料の均等条件における利用の享受を促進するよう努力すること。)

五、兩國ハ改善セラレタル勞働基準、經濟的向上及ヒ社曾的安全ヲ一切ノ國ノ爲ニ確保スル爲、右一切ノ國ノ間ニ經濟的分野ニ於テ完全ナル協力ヲ生セシメンコトヲ欲ス。

(五、両国は、改善された労働基準、経済的向上、および、社会的安全を一切の国のために確保するため、右一切の国の間の経済的分野において完全な協力を生じさせるよう望む。)

六、「ナチ」ノ暴虐ノ最終的破壞ノ後兩國ハ一切ノ國民ニ對シ其ノ國境内ニ於テ安全ニ居住スルノ手段ヲ供與シ、且ツ一切ノ國ノ一切ノ人類カ恐怖及欠乏ヨリ解放セラレ其ノ生ヲ全ウスルヲ得ルコトヲ確實ナラシムヘキ平和カ確立セラルルコトヲ希望ス。

(六、「ナチス」の暴虐の最終的破壊の後、両国は一切の国民に対し、その国境内において安全に居住する手段を供与し、かつ、一切の国の一切の人類が恐怖、および、欠乏より解放され、その生を全うし得ることを確実にする平和が確立されることを希望する。)

七、右平和ハ一切ノ人類ヲシテ妨害ヲ受クルコトナク公ノ海洋ヲ航行スルコトヲ得シムヘシ。

(七、右平和は一切の人類が妨害を受けることなく公の海洋を航行できるようにすべし。)

八、兩國八世界ノ一切ノ國民ハ實在論的理由ニ依ルト精神的理由ニ依ルトヲ問ハス強力ノ使用ヲ抛棄スルニ至ルコトヲ要スト信ス。陸、海又ハ空ノ軍備カ自國國境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ與エ又ハ與ウルコトアルヘキ國ニ依リ引續キ使用セラルルトキハ將來ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、兩國ハ一層廣汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル國ノ武裝解除ハ不可缺ノモノナリト信ス。兩國ハ又平和ヲ愛好スル國民ノ爲ニ壓倒的軍備負擔ヲ輕減スヘキ他ノ一切ノ實行可能ノ措置ヲ援助シ及助長スヘシ。

(八、両国は、世界の一切の国民は、実在論的理由によるとも精神的理由によるとも問わず、大きな力の使用の放棄に至ることを要すると信じる。陸海空の軍備が、自国国境外への侵略の脅威を与え、または、脅威を与えることがある国により引き続き使用されるときは、将来の平和が維持できないことがある故に、両国は一層広範にして永久的な一般的安全保障制度の確立に至るまでは、しかる国の武装解除は不可欠のものと信じる。両国はまた、平和を愛好する国民のために圧倒的軍備負担を軽減すべき他の一切の実行可能な措置を援助し、および、助長すること。)

フランクリン・ディー・ローズヴェルト
ウインストン・チャーチル



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刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号) 電子政府の総合窓口 e-Gov

第三百三十七条  左の場合には、判決で免訴の言渡をしなければならない。
一 確定判決を経たとき。
二  犯罪後の法令により刑が廃止されたとき。
三  大赦があつたとき。
四  時効が完成したとき。



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外患罪、適当なこと言ってる奴いるな、誤誘導になってるぞ(→新旧外患罪比較) 2017.8.27

(前略)

 新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。
 新法でいう武力行使の有無(武力行使の成立要件)、および、具体的にどの行為が外患援助罪に当たるのかを判断するのは裁判所。最終判断は最高裁判所。

(中略)

wikipedia-外患罪

概説

(中略)

信濃注:
・旧法の前提条件:敵国があること、武力行使があること
・新法の前提条件:日本に武力行使した外国があること
(以上)

 元来は戦争状態の発生及び軍隊の存在を前提とした条文だったが、日本国憲法第9条の関係で、昭和22年(1947年)の「刑法の一部を改正する法律」(昭和22年法律第124号)により根本的に改正され、「戰端ヲ開カシメ」「敵國ニ與シテ」等の字句や、利敵行為条項(第83条〜第86条)・戦時同盟国に対する行為(第89条)等、日本国政府が戦争の当事者であることを意味する規定を削除・改正している。ただし、武力の行使が前提となることに変わりはない(サイバー攻撃や金融・通貨を含む経済戦争には対応していない)。

 刑法新旧条文の比較は以下の通り。



旧条文

第81条[外患誘致]
外國ニ通謀シテ帝國ニ對シ戰端ヲ開カシメ又ハ敵國ニ與シテ帝國ニ抗敵シタル者ハ死刑ニ處(処)ス

信濃注:
外国に通謀して大日本帝国に対して開戦させ、または、敵国に与して大日本帝国に敵対した者は死刑とする。
(以上)

第82条[外患援助]
要塞、陣營、軍隊、艦船其他軍用ニ供スル場所又ハ建造物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑ニ處ス
兵器、彈藥其他軍用ニ供スル物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス

信濃注:
要塞、陣営、軍隊、艦船、その他、軍用に提供する場所、または、軍用に提供する建造物を敵国に交付した者は死刑とする。兵器、弾薬、その他、軍用に提供する物を敵国に交付した者は死刑、または、無期懲役とする。
新旧の外患援助罪は条文そのものが違う。旧法の外患援助罪は敵国に対する場所、建物、物の提供を罰する罪。対して新法の外患援助罪は、日本に武力行使した外国の軍務に服すこと、および、日本に武力行使した外国に軍事上の利益を提供することを罰する罪。即ち、新法の外患援助罪を平たく言えば、旧法の通謀利敵罪を含む、利敵行為全てを罰する罪。
(以上)

第83条[通謀利敵]
敵國ヲ利スル爲、要塞、陣營、艦船、兵器、彈藥、汽車、電車、鐵道、電線其他軍用ニ供スル場所又ハ物ヲ損壊シ若クハ使用スルコト能ハサルニ至ラシメタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ處ス

信濃注:
敵国を利するため、要塞、陣営、艦船、兵器、弾薬、汽車、電車、鉄道、電線、その他、軍用に提供する場所、または、軍用に提供する物を損壊し、もしくは、使用できない状態にした者は死刑、または、無期懲役とする。
(以上)

第84条[同前]
帝國ノ軍用ニ供セサル兵器、彈藥其他直接ニ戰闘ノ用ニ供ス可キ物ヲ敵國ニ交附シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ處ス

信濃注:
大日本帝国の軍用に提供させていない兵器、弾薬、その他、直接に戦闘に使う物を敵国に交付した者は、無期、または、三年以上の懲役とする。
(以上)

第85条[同前]
敵國ノ爲メニ間諜ヲ爲シ又ハ敵國ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ五年以上ノ懲役ニ處ス
軍事上ノ機密ヲ敵國ニ漏泄シタル者亦同シ

信濃注:
敵国のためにスパイ活動をし、まはた、敵国のスパイ活動を助けた者は死刑、または、無期、もしくは、五年以上の懲役とする。
(以上)

第86条[同前]
前五條ニ記載シタル以外ノ方法ヲ以テ敵國ニ軍事上ノ利益ヲ與ヘ又ハ帝國ノ軍事上ノ利益ヲ害シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ處ス

信濃注:
前の五条(81条~85条)に記載した以外の方法で敵国に軍事上の利益を与え、または、大日本帝国の軍事上の利益を害した者は二年以上の有期懲役とする。
(以上)

第87条[未遂]
前六條ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

信濃注:
前の六条(81条~86条)の未遂罪は罰する
(以上)

第88条[外患予備・陰謀]
第八十一條乃至八十六條ニ記載シタル罪ノ豫備又ハ陰謀ヲ爲シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ處ス

信濃注:
第八十一条~八十六条に記載した罪の予備、または、陰謀をした者は一年以上十年以下の懲役とする。
(以上)

第89条[戰時同盟國ニ対スル行爲]
本章ノ規定ハ戰時同盟國ニ對スル行爲ニ亦之ヲ適用ス

信濃注:
本章の規定は戦時の同盟国に対する行為にも適用する。
(以上)



新条文

第81条[外患誘致]
外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

第82条[外患援助]
日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。

第83条乃至第86条 削除

第87条[未遂]
第八十一条及び第八十二条の罪の未遂は、罰する。

第88条[外患予備・陰謀]
第八十一条又は第八十二条の罪の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の懲役に処する。

第89条 削除

(引用以上)



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改訂履歴
※2017.8.31、新規作成

4 件のコメント:

  1. 難しいという感想をお寄せ頂いた方へ

    過去に締結した複数の条約や、各条約への署名・未署名などが絡んでくる事案ですので、できる限り正確に捉えようとすると複雑になってきます。また、条約の原文が戦前・戦中の文語体だったりします。
    日本政府(外務省)の説明は比較的分かりやすいですから、まずはこちらをお読みいただき、概要把握をお勧めします。
    ただ、外務省の言い分を含めて検証しようとすると、上記のように複数条約の署名・未署名の確認、条約原文の現代語訳が必要になることがあります。こうなると複雑になってきます。
    さらに工夫できるところは工夫して、分かりやすくなるよう、できる限りやっていきたいと思います。

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  2. 信濃さん、こんばんは。
    昨日、虎ノ門ニュースで高山さん、馬淵さん、大高さんの鼎談を見ました。
    国内・国際問題の歴史背景を含め、自分の知らない視点に立った談義が多く、特に、安倍首相とプーチン大統領にしか北方領土問題が解決できない・・・のくだりには興味津々でした。
    (内容がうまく書けないので、感想だけです。汗)

    相変わらず、某イソ子氏のミサイル口撃が激しいようですが、それを上手くいなす菅官房長官の姿にエールを送りたいと思います。

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    1. 虎ノ門ニュース、尺が長いので北方領土の部分だけみてみました。
      確かにそういうやり方もありますね。凄いこと考えてますね。ただ、やろうとしたら維持管理が難しいだろうなぁ、とは思いますね〜。相手が相手だし。それに、動画で言われてるように安倍さんプーさんトランプちゃんのうちにしかできなさそうなやり方だなぁ。
      私も興味大ですわ。これからの動きに注目しときます。情報ありがとうございました。

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    2. 話題になってる対北朝鮮石油禁輸案と絡めて、日米露でバーターとか、やる可能性はありますね。9月中に動く可能性はありますね。ただ、記事にするのは先走りの感がありますので、現状では黙っておきます。

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